マスコミはスピードだ!

つい数時間前までは、北は韓国の核実験場爆破セレモニーに参加できないと発表してもギリギリで参加OKとなる。

トランプさんも米朝首脳会談をやるが一転してやらない、と言い出したが、これも数時間でやらないをやらないかも、みたいにコロコロ変わる。

既に日本のマスコミはこのスピードには全くついていけず、日本のネットメディアも全くついていけていない。新聞なんてのは数日という時間でのメディアであって、数分や数時間は扱えない。朝刊に評論した政局が数時間の間に二転三転し、翌日もまたやっている。この動きの速さは、新聞には全くついていけない速さであることは言うまでもない。テレビもせいぜいが数時間の動きしか追えない。コトは数分で変わることもある。それが現代だ。

特に日本のネットメディアは社会での認知を得てきていているぶん、コンプライアンス重視になってきており、スピードは遅くなっている。逆に言えば、ソースを明らかにしてスピードに全ての重点を置き「ガセかもしれない」ことを前提に報道するメディアがこれからのトレンドになりそうだ。面白い世の中になってきた。

 


 

人工知能とマスコミの関係と実際の開発者の話

基本的なこととして「人工知能」とぼくらが呼んでいるもののイメージはマスコミが「こんなもの」というイメージがほとんどなんですよね。でも、報道するマスコミの人たちの勘違いは2つあって、1つは「自分が面白いと思ったものが世の中に広まっていく」という勘違い。2つ目は「自分たちは世の中のものはなんでも理解できる」という勘違い。最初の勘違いは今日、ネットというものができて、かなり崩れたね。だから、結果として嘘になっちゃった。後者は、まぁ、役人にもよくある勘違いではあるんだが、人間である以上、ルネッサンス的な人間はそうそういませんよね。

コンピュータもインターネットも目の前にあるけど、それがどういうものか、という全体像もdetailも、それを実際に触って開発している人にしかわからない。でも、マスコミ人ってのは「わかる」と思い込んで報道する。実際に触って動かすぼくらは「マスコミってバカじゃねぇの」って言いながら、「はぁ、そういうものでございますねぇ」と、表を繕って接するだけなんだな。本当のことは教えないですよ。多くの人は、ぼくほど意地悪ではなくて、意識もしていないんだけどね。

AIと呼ばれている現在のテクノロジーは、これまであったテクノロジーの集積と統合だから、その統合の思想や哲学が理解されていないと、全くわからない。実際にやっている人間は「面白いねぇ」と言ってやっているだけで、興味がほかのことに移れば、違うことを始める。未来永劫「AIの専門家」ってわけじゃない。「面白いねぇ」と言うのは、「世の中を変えていく種がここにある」っていうおもしろさもあるんだけど、それはマスコミには教えていないですよ。結果=Effectだけ、ポロっと見せる。「どうしてそうなるか」なんてマスコミの人に解説してもわからないからね。言わないですよ。

今は「AI」というキーワードがブームなだけであって、本当のAIなんてのは数十年前から研究しているわけですな。そして「機械が人間のように振る舞う」のは、なにが楽しくてそうしているかというと、楽しいからだね。それ以外じゃないですよ。なにかの役に立つからやってる、ってわけじゃないよ。

この人口過剰と言われているこの人間社会にさ、もっと人間増やしてどうすんのかね?それ、役に立つの?混乱がひどくなるだけなんじゃないんか?人間の経験によるディープラーニングだって、要するに「人間と同じ経験」しないと、人間らしくならんわな。でも、人間の経験というのはアタマだけじゃなくて「成長」「五感」「愛情」みたいなものもあるわけでしょ。赤ちゃんのときの母親の肌の感触とかもあるわけでね。それらを人間のように感じて生きるには人間と同じ大きさの人間と同じ、人間と同じ五感と四肢を持って、成長もすれば老化もするし、死ぬときは死ぬようなものを作らないと、人間らしくならんわな。そういうものが積み重なって「忖度」できちゃうわけだしね。つまり、人間で言えば、脳だけが発達する、ってことはありえないわけですね。反対側から見れば「人工知能に、どういう方法で、どういう経験をさせるか(データをインプットするか)」が、ディープラーニングでもかなり重要なことになってくるわけですな。なにせ説明原理がないものを経験で扱うわけだからね。となると、人間そのものを作らないといけないから、「人工知能」ではなくて「人工人間」を作らないと、ことは解決しないわけですよ。そうなると、ITじゃなくて、バイオのほうに重点が移る。人工生命から人工人間まで、一気にいかないといかんのですわ。で、ここまで増えて困ってんのに、なんでまたややこしい「人間もどき」を、人間自身が作らなあかんのか?ってことですな。

それはねぇ、研究の目的を「人間自身」にとって、人工の人間をつくるその過程で、人間自身とはどんなものか?ということがわかってくる。至って文系的な「われを知る」ことにそれがつながるから、楽しくて理解もしたい、となるわけですな。つまり、人間自身を作ることを目指せば、その過程で、人間やその社会自身の理解が進んで、楽しくなるべな、という、そういうことですよ。

 


韓国に「嫌日」はないんだけど??

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まずは、黃文雄先生、ますますお元気で、なによりです。ぼくは日本の「台湾新聞」の記者をしていたことがあったので、その関係で黃先生にもなんどかお会いしていて、そのエネルギッシュな活動には敬意を抱いています。で、この前、ライブドアに掲載された先生の記事を読んだのです。でも、ちょっと韓国に対する見方が違うなぁ、と思ったので、ここに書きます。ぼくはつい最近、2年間、韓国の大学で大学教授をしていたから、そのときの体験があって、そう思ったのですね。

そのときは日本と韓国の行き来をしょっちゅうしていたんだけれども、韓国人で日本や日本人に悪感情を持っている人なんてあまりいない、と感じたんですよね。日本好きな人ってもともと多いですよ。ぼくが教授でいた2年間、日本人であることでいやな思いをしたことはなかったのね。日本のマスコミの「嫌韓煽り」のほうがはるかに多かったね。

たとえば、「竹島の日」の島根県でのイベントは、韓国にいるときに2年連続で見ることになったんだけれども、韓国のメディアでは「XXというイベントがあって、XXとXXが出席してXXということがありました。終わり」みたいな、30秒くらいのニュースで、全然、エキセントリックな取り上げ方はしていなかった。日本人のぼくが見ても、公平な扱いのニュースでした。

韓国での宿舎に近いコンビニのアルバイトのおにいちゃんは、日本で仕事をしていたことがある、言っていて、その日本での仕事って、要するに、コンビニでアルバイトしたことがあるんだろうと思うけど、コンビニを出る間際に、大きな声の日本語で「ありがとうございましたっ!またのご来店をお待ちしておりますっ!」ってぼくを送り出してくれて、思わず苦笑しちゃったよ。調子狂ったよー。

で、今年、日本への韓国人旅行者が減ったのは、ウォンに対する円高が主要な原因でね。日本が嫌い、ってわけじゃなかったんだよ。そのウォン高でも、日本向けの飛行機の中は、韓国人の家族連れがとても多かったしね。韓国人の日本向けの旅行者が減ったときでさえ、韓国からの訪日客は5位以内。元が多かったから、ってのもあるんだろうね。

あと、韓流は何年か前に日本で流行ったけど、今は流行ってない、って言ってる人が少なからずいるんだが、実は今でも韓流はけっこう流行ってる。ただし、おばちゃんとかじゃなくて、日本の女子高校生なんかに流行ってるんですよ。だから、高校生はお金持ってないから、おばちゃんほどお金を韓流に落とさないし、日本も庶民がお金を持てない時代に変わったらから、ダブルパンチで韓流が流行らなくなったように見えるのね。

だから、黃先生の言っていることは、なんだかちょっと違うなぁ、って思うところがあります。先生、失礼になりましたら、ごめんなさい。

 


「美味しんぼ」騒動に見るマスコミのやり口

ちまたでは「鼻血が出た」「いや出なかった」という話になってきたが「STAP細胞はあった」「いや無かった」という論争に似てきた。どれも「ある」「無い」の二元論で答えが出せる問題ではないものを、無理をしていまその答えを出して提示しよう、というバカなことをやっている。

答えは間にある「グレー」なところにある。しかし、それをそのまま表現せず、わざとヒステリックな騒ぎにしていくことにより、人に「冷静な判断」をすることをできなくしていき、熱狂を煽る。結果として正確な情報が世間に伝わらなくなる。

これが日本のマスコミのいつものやり方だ。どんな話も「単純化」して「プロレス」みたいにして「見世物」にして稼ぐ、ということだ。

こういう「意味の無い熱狂」にのせられないようにすることが大切なことは言うまでもない。

世の中は複雑なことのほうが、単純なことよりも多いものだ。しかし、こと自分の外の世界についてはついつい「単純」であることを無意識に望んでしまう。そのほうが楽だからだ。しかし、現実は単純ではなく、白黒がはっきりつかないものもとてもたくさんある。しかし、マスコミはそういう「普段は意識していないあなた自身の中にある怠惰」にグイッと入り込んでくる。

そうしなければ、マスコミの「商売」にならないからだ。複雑なものを単純に見せて、あたかもそれが真実であるかのように演出し、結果としてウソを書いたことと同じという副作用があるのを承知で、大衆の耳目を集め、商売として本来は成り立たないものを、無理をして商売にするのである。

だから、白黒付けられない複雑な問題がちゃんと世間に伝わらなくなる。そういう意味では、こういう報道をする日本のマスコミは犯罪的でさえある、と私は思う。

「マスコミは悪くない」論の愉しみ

こんな記事を見かけた。

「テレビ局の方向づけと言論人の質の劣化が組合わさった結果としての現状があるのではないかと。」

この一言のために、長ったらしいこういう文章を売る仕事をしているのが、この方であるのは、ま、あしょうがないところ。私としては否定も肯定もしないけれど、売文屋としての商売としてちゃんと成り立っているのはさすが。これはぼくができないところだしね。あるいは「おれはこの社会では特権階級なんだぞ!すげーだろ!」を言いたかっただけなのかもしれないが、拙文ではそこはつまらないので無視する。

と、褒めてるんだかけなしてるんだかわからないみたいな書き方をするのが好きなので、その辺りはご勘弁を。

で、民放もNHKも昔からテレビの内側にいた人の話を聞いたことがあるけど、民放って要するに「視聴率」以外は関係ない世界。NHKは視聴率もあるけど、まだいい番組を作る、ってところがある。それだけなんですね。だから、視聴率が取れそうかどうか、ということが判断基準になるのは仕方がない。それだけのことなんですね。

「マスコミが悪い」のはそうりゃそうだけど、それはマスコミが大衆にあわせて視聴率を取りたい、ということでやっていること。それに異論はない。マスコミ人だから高い意識を持っていなければならない、ということは無い。というか、ありえない。

それに、「マスコミは社会的に影響が大きいのだからマスコミ人は高い意識をもたなければならない」というのは、あったとしても昔の話であって、今は期待するべきことじゃない。いまでもそう思っている人はマスコミというものに期待しすぎ。マスコミに期待しない、というところからすべて始めるのが、大人ってもんです。そう。やりたいことは自分がやればいい。他人に期待するな、ってこと。

 

どの国であるにせよ「マスコミ」は信用に足らないメディアになった

昨日までAPECが開催されていたが、その場の報道が面白い。

◆安倍首相が中国、韓国の首脳と仲がいい – 日本の報道(日本メディア・日本語)
http://news.livedoor.com/article/detail/8136949/

◆安倍首相と韓国の首脳は仲が悪い – 韓国の報道(韓国メディア・日本語)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/08/2013100800922.html

全く違う印象を与える2つの日本語の記事。どっちがどっちでもかまやしないが、この両方を読んでわかるのは、どの国でもマスコミっていい加減なもの、ってことですな、ということ。「事実を報道する」のではなく「事実を使って自分たちの言いたいことを言う」のがマスコミ。であれば、これはマスコミの報道とは、今や「ノンフィクションの小説」以上のものではない。