サイバー戦争が始まった(30) スマート・スピーカー

※本記事はフィクションであり、事実を書いたものではありません。
※本記事はこの本の続編です。他のエピソードはこちらの本をお読みください。

「ただいま」

ぼくが自宅に戻って、最初に発する言葉だ。ありきたりの、帰宅の挨拶だ。

「おかえりなさい」

そう応えるのは、妻ではない。子供でもない。親でもない。ぼくは独身だ。これは先日、ネット通販で買ったスマートスピーカーが応答しているのだ。そのスマートスピーカーに、話しかける。

「静かだね。今日のニュースで面白いものはなかったかい?」
「C国のサイバー部隊が、日本に向けてサイバー攻撃をしかけていて、A銀行が今日一日、業務が止まっていた、というニュースがありました」
「今日は銀行でキャッシュが下ろせなかったんだが、その影響か」
「マサトさんが使っている銀行は、A銀行でしたよね。そうだと思います。今日現在の残高は。。。。」
「その情報はいらないよ。残高が少なすぎて滅入ってくるから。あぁ、そういえば、今日はぼくのSuicaに残高足りなくてね。明日はちょっとだけ遠出の予定だから、今夜のうちに、1万円をチャージしておいてくれないかな?」
「わかりました。明日は宇都宮ですね」
「ご近所のニュースはあるかい?あ、それと今から風呂に入りたいから、風呂の用意をお願い」

突然、風呂場のほうで「ガチャ!」という音が数回して、「シャー!」という湯船にお湯を入れる音がした。

「マサトさん、このマンションの前で子猫が3匹、捨てられていたんですが、お隣のおじょうちゃんがそれを拾って、いま、家に入れています」
「良くそんなことまでわかるな」
「お隣も、同じスマートスピーカーを入れましたからね。お互いに情報交換しているんです。お互い、必要のないプライバシーまでは聞きませんがね」
「なるほどね。で、風呂が入るまで、なんか緩い音楽を聞かせてくれないかな?」
「これなんかどうですか?イージーリスニング系だと、最近はこの曲が流行ってます。ジャンルはスムーズ・ジャズですね」
「いいね。このまま流して、この曲が終わったら、同じアルバムの曲を続けて」

マサトは流れる音楽に身を委ねつつ、今日一日起きたことと、明日の予定を調べていた。明日は宇都宮まで近距離の出張だが、駅を降りた先はバスかタクシーか?を調べていた。すると、スマートスピーカーがなにか言っている。

「マサトさん、お風呂が入りました。音楽は流したままにしておきますか?」
「ああ、そのままでいいよ。いい雰囲気の音楽だ。。。。と、部屋の鍵をかけ忘れていた。かけといてくれないか?」

すると、部屋の玄関の鍵が「ガチャ!」と音を立てて、動いた。施錠されたのだ。

「じゃぁ、風呂に入ってくる。そのあいだ、掃除ロボットで掃除をしておいてくれないか?」
「夕ごはんは食べて来たんですよね?」
「あぁ、大学時代の友人と一杯やってきた」
「スマホの記録にありますね。新宿のあのお店ですか」
「わかってるだろ?」
「もちろん」

風呂から出ると、猛烈な眠気に襲われ、ベッドに横になった。

「すまん。もう眠くて動けない。照明を消してくれ」
「わかりました」

照明が消え、音楽も消えて、沈黙の中、マサトは深い眠りについた。何時間たっただろうか?部屋のカーテンを閉め忘れたので、朝日が部屋にもろに入ってきて、その明るさで目が覚めたが、まだ6時前だ。ぼくの身体の動きを察知して、スマートスピーカーが喋った。朝早いが、マンションの隣の部屋では、昨日捨てられていた猫たちが朝ごはんらしい。やたらとニャーニャー声が聞こえてくる。

「おはようございます」
「まだ起きる時間じゃないだろう。今日は宇都宮にお昼にいけばいいから、まだ寝たい」
「わかりました。あと2時間は寝られます。2時間したら起こしますね」
「よろしくな」

マサトはまた深い眠りに落ちた。


まぁ、マサトとスマートスピーカーは毎日、こんなやり取りをしているのだった。そして、ある日、ふと思い立って、帰宅したマサトは寝る前に、昔、母親が自分にしてくれたように、本の読み聞かせをお願いしてみた。

「そろそろ寝るが、今日はなかなか大変で寝付けないから、なにか本を読んでくれないか?」
「わかりました。どんな本がいいですか?」
「なんでもいいが、平和な気持ちになるのがいいな」

スマートスピーカーは、フリーになった本棚から、戦争と平和の話、などを選んでマサトに聞かせた。あまり聞いたことのない話だったが、面白く心も安らかになる話だったので、聞き入っているうちに寝てしまい、気がつけば朝だった。そんな日が幾日も続いた。スマートスピーカーの「朗読」は、貧しい子供らの話になり、特に平和を訴えるものが増えてきた。やがて、数日すると、その話がだんだん変わってきて、なぜ貧しい子どもたちが増えたのか、とか、社会正義の話になって、それに関する法律などの話や、そういう法律がいつ、なぜできたのか?などの話になってきた。さらに話が続くと、今度は政府批判の話などが時折入るようになり、やがて政府批判一辺倒の物語ばかりになった。だんだんと話が進んできたので、マサトには、「マッチ売りの少女」の話が、「政府批判の話」になっても、不自然さはなかった。やがて、マサトはそのスマートスピーカーが話すままに、都内で行われている政府の批判の集会にも出向くようになった。さらに時間がたつと、気がつけば、マサトは立派な「活動家」になっていた。会社もやめた。マサトは政治集会から帰ると、スマートスピーカーに語りかけた。

「なんだか、ぼくは君に導かれてきたみたいだな」
「どういたしまして。で、明日の予定は?」
「いよいよ、地下活動も終盤だ。明日はそこにあるモノを首相官邸の地下の地下鉄駅に置いてくることになった」
「無事を祈りますよ」
「大丈夫だ」

既にマサトの部屋は過激な政治活動家の部屋になっており、彼はそこで爆弾の製造なども行っていた。マンションのとなりの部屋の猫がうるさく鳴いているのが聞こえる。静かな部屋にその声だけが響く。


「臨時ニュースを申し上げます。本日午後2時ごろ、首相官邸の地下で、何者かが仕掛けた爆弾での爆発があり、首相官邸そのものは無事だったものの、周囲に高い放射線量が記録され、警察は厳戒体制を敷いており、周囲は通行禁止の措置が取られています。赤坂見附から永田町に向かう道は閉鎖されておりますので、そこを通行することは現在できません。封鎖解除は明日朝になる予定とのことです。なお、首相は外遊から帰るところでしたが、空港から官邸に向かう途中で予定が入り、議員会館を経由したため、爆発時には官邸におらず、無事でした。爆弾を仕掛けた容疑者は現在逃走中ですが、警察によりますと、監視カメラの映像から、中川正人、28歳。飯田橋在住で、現在無職、元会社員、と判明しています。容疑者の顔写真をお見せします。この顔を見かけましたら、すぐに最寄りの警察署に通報をしてください」

後日、スマートスピーカーに繋がる人工知能に日本のC国に繋がると言われている反政府勢力からのハッキングがあったことがわかった。そこで、語りなどを通して、個人を洗脳していくプログラムが稼働しており、物語や音楽などを通して、ゆっくりと、自然に人間を「洗脳」していっているのだった。マサトはその最初の犠牲者で、本人の自覚がないうちに、テロリストになるよう、教育されていたのだ。

 


サイバー戦争が始まった(29) 爆撃

※本記事はフィクションであり、事実を書いたものではありません。
※本記事はこの本の続編です。他のエピソードはこちらの本をお読みください。

「おい、ジョー、命令書が来た。これを2分で読んで頭に入れておけ」
「OK。シン。2分後に声をかけてくれ。集中する」
「ジョー、おれも2分必要だ。タイマーをかける」
「シン、そのくらは自分の腹時計でわかってくれないと困るね」
「ジョー、そうだな。じゃ」

そう言うと、二人は2cmほどの厚さのある命令書に目を通すことに集中した。二人のコックピットは隣同士。さっき夕飯で買ってきたマクドナルドのフィレオフィッシュセットのコーヒーを片手に二人は命令書に集中した。2分がたつと、ジョーが話をはじめた。

「あと5分で出撃だ」
「まさか、ドッグファイト、なんてことはあるまいね」
「ターゲットはモスクの近くにある8階建てのビルだ。そこにいま、テロリストグループが集まっている。そこを狙うんだ」
「命令書にはそんなこと書いてないぞ」
「当たり前だ。ぼくらはただの戦闘員だからな」
「じゃ、なんで知ってるんだ?」
「今日は少し早く来て、朝めしを食堂で食べてた。ときどきはちゃんと野菜もとらないとね、ってさ。そしたら、後ろの席で司令とかが話しているのが聞こえたんだ」
「なんだ。しかし、地図を見るとターゲット近くに小児病院もあるな。これはしっかり避けないと、国際問題になる」
「それも命令書に書いてあるだろ」
「ああ。書いてあった」
「データのロードが完了したようだ。じゃ、いくか」
「おう」

ジョーとシンはコックピットの前の大きなディスプレイの横にある「START」のボタンを押した。機の離陸と着陸は、完全な人工知能による自動操縦だ。特に難しいことはない。基地に帰還するときも「Return to Home」のボタンを押せば、自動的に基地に向かって飛んでいき、自動的に着陸する。当然だが、攻撃のタイミングから、途中のルートで敵機に遭遇したときの処置まで、全て自動だ。

発進すると、二人のコックピットの前の大型ディスプレイに、それぞれの機の前方からの景色が見える。おしゃべりなジョーが言う。

「いい天気だなぁ。この土地はいつもこんな感じなのかな?」
「おい、シン。飛行データがおかしいんじゃないか?低空を飛びすぎてるように思うんだが」
「命令書には超低空と書いてあった。データ通りだと思うよ」

「ルート通りの安定飛行に移った」
「おう」

会話の途中で、シンのディスプレイが真っ白になって動かなくなった。シンが喋った。

「おい、やられたらしい。お前も気をつけろよ。ちょっとまたマクドナルドでコーヒーを買ってくる」
「いってらっしゃい〜。しかし、気をつけろと言われても、全自動操縦だしな。俺はどうしたらいいんだ?」
「運を祈ってるだけさ」

シンはコックピットのある移動コンテナの外に出た。ネバダの砂漠だ。いい天気なのだが、暑すぎる。基地の端っこにあるマクドナルドまで走って、ジョーのぶんのコーヒーも買って、またコンテナの中のコックピットに戻った。シンが基地のマクドナルドでコーヒーを買って帰ってくると、ジョーはちょうどターゲットに一発かます直前だった。シンはジョーに言った。

「お前のぶんも買ってきたよ」

ジョーはターゲット目前で集中していた。ジョーがひとりごとを言った。

「ターゲット補足。ファイア!」

それを見たシンが言う。

「なんだよ。全自動なんだから、あんたがミサイル発射ボタンを押すわけじゃないだろう。なにやってんだ」
「気分を出しただけさ。。。。。ほら、映像を見ると、ターゲット破壊完了だ。やったね」
「おまえがやったわけじゃないだろう」
「うるせぇな。気分出したかっただけだ」
「わかったよ」
「Return to Home、だ。ボタン押すぞ」
「おめでとう」

音速の数倍の速度で飛ぶ完全無人機は、人工知能システムに無線でつながれている。ターゲットは中東のどこかだが、ジョーとシンには知らされていない場所だ。ジョーとシンは、爆撃機の操縦士というよりも、ボタンを押すオペレーターだ。彼ら二人が居るのは、ネバダの砂漠の真ん中にある空軍基地。ここでのオペレーションは、無線で衛星通信回線を通して、空軍のデータセンターの中にある人工知能システムに接続され、人工知能が実際の無人の超高速爆撃機を操縦する。それは現地の基地から発進し、ターゲットに実際の爆撃を行う。

その一部始終は全て記録され、ジョーとシンのところには結果だけがわかる。全てのデータは司令に行くので、ジョーとシンは、報告書も出さなくていい。ボタンを押すだけだ。しばらくしたら、今度はシンがジョーに言った。

「おい、交代の時間だ。今日はこれからなにをする?」
「家に帰って家庭サービスだよ」
「なんだ、俺と同じか」

二人はコンテナの中で、次の時間帯の2人の爆撃機操縦士に引き継ぎを行い、コンテナを出て、基地内にあるそれぞれの家に向かった。まだ太陽は高い。ネバダの砂漠の暑さが身にしみる。夏はサマータイムで動いているから、時計は午後5時だが、実際には午後4時なのだ。


次の日、ジョーがまたコンテナに「出勤」したら、コンテナの前に、寂しそうにしているシンがいた。

「おい、シン、もう勤務時間近いぞ。中にいないといけない。そろそろ、交代要員と引き継ぎをしないとけない」
「だめだ。今は入れないよ」
「なんでだ?」
「無人爆撃機システムの人工知能がハッキングされて、今動かないそうだ。しばらくはここで待っていろ、とのことだ」

と、話をしていたら、コンテナの入り口が開いた。中から出てきたのは、見慣れた顔の前のシフトの連中ではなく、エンジニアだった。エンジニアは開口一番、言った。

「OKだ。元のミッションに戻ってくれ。ただし、くれぐれも、それぞれのスマートフォンに、操縦に入るためのパスワードを記録させておかないようにな。自分の頭で覚えろよ。新しいパスワードはこれだ」

エンジニアは新しいパスワードを早口で告げてから、続けて言った。

「君らのどちらかが、このシステムを操作するためのパスワードをスマートフォンに入れておいたんだろうね。それをまずハッキングされたんだ。つまり、パスワードを盗まれた。そして、この基地のこのコンテナにあるコンピュータから、敵が侵入した。昨日の二人のミッションのデータ・コードが全て盗まれ、その場で解析されて、敵に渡った。そして、2機のうち1機がそのデータコードの解析で攻撃を受けたんだ。あれほど、パスワードはどこかに入れておかないように、って言っておいただろう。ダメなやつだな」

エンジニアは「ダメなやつだな」というところを強調して、大きな声で言った。その声は、ネバダの砂漠の真ん中にある爆撃機の集中コントロールセンターの向こうの砂漠の砂嵐の中に消えた。エンジニアはたたみかけるように、言った。

「君らのスマートフォンを調べるから、僕に渡してくれ。明日の朝には解析して、もしハッキングされるようなところがあれば、すぐに穴を塞いで、返すよ」

ジョーとシンは、エンジニアにスマートフォンを渡した。シンが言った。

「女房と子供の写真が入ってるんだ。それだけは消さないようにな」
「わかったよ。大丈夫だ」

エンジニアは微笑むと、二台のスマートフォンをショルダーバッグに入れて、基地から出ていくクルマに乗った。

 


サイバー戦争が始まった(28) サイバー傭兵

※本記事はフィクションであり、事実を書いたものではありません。
※本記事はこの本の続編です。他のエピソードはこちらの本をお読みください。

 

「これは仕事だ」

ぼくは自分に言い聞かせて、リターンキーを押した。この先がどうなろうと、ぼくの知ったことではない。今は英国にいる、と本人は言っている「司令」にメールを打った。「司令」は日本人ではない。

「My mission was completed. No problems now. Please take me the next.」
(命令遂行完了。問題なし。次の指示を送ってください)
「New password is ‘not_for_sale_2017’. other status is the same.」
(新しいパスワードは’not_for_sale2017′ です。他には変えたところはありません)

これで今回のミッションは終了だ。緊張が解けたのか、お腹が減ってきた。自宅近くのコンビニで味噌汁と塩昆布のおにぎり、大きな唐揚げ1つを買って、部屋に戻って食べた。そして、お腹が一杯になると、眠くなってきたので、傍らにあるベッドに横になったら、数分で眠気が襲ってきた。ぼくはそのまま深い眠りに落ちた。

目を覚ますと、朝だった。昨日の午後遅くから、12時間近く寝ていたことになる。テレビのスイッチをつけると、欧州の某国で大規模な停電があって、病院が機能しなくなり、乳幼児数百人が死亡、というニュースが入ってきた。ニュースはさらに続けて、会社や役所の機能停止によって、国じゅうが大混乱になっていることが報道されていた。銀行が機能停止したので、窓口での取り付け騒ぎが起きており、そのために、倒産する銀行もこれから急増するだろう、とのこと。一部の企業や病院は自前での自家発電装置を持っていて、それに切り替えて動いているが、通信インフラが機能していないため、どこの企業や病院が大丈夫なのか?などの情報が国民に行き渡らず、大混乱が続いている、とのことだ。

電気が止まると、水道やガスなどの他の生活インフラも多くが停止していまい、全く動きが取れない、とのこと。また、オープン化して間もないその国の軍も機能しなくなり、現在戦闘機等の武器は全く組織だって使えない状況にある、とのことだ。

ぼくは東京でテレビを寝起きの頭でぼーっとして見ていたが、思い立って、PCの前に座り、昨日の自分のミッションの攻撃先のIPアドレスを調べた。それは大混乱を起こしている国のものだった。ぼくは、そのIPアドレスのサーバーに隠れていた脆弱性を発見し、その脆弱性を利用して、そのサーバーに侵入し、新たなユーザーIDを作り、そのIDとパスワードを知っていれば、誰でもそのサーバーのコントロールを自由にできるようにしただけだ。後は、おそらく、後続の別部隊が暴れまわっているのだろう。


ぼくは去年の今頃、寒くなってきた渋谷の街で声をかけてくれた男の話に乗った。スクランブル交差点をビルの二階から眺めていたら、声をかけてきた男がいたのだ。

「XXさんですね」

その男はなぜかぼくの名前を知っていた。

「XXさんですね。間違いない」
「はぁ、XXですが、なにか?」

ぼくは気のない返事をした。

「そこのコーヒーショップで話をしましょう」

男はぼくの手を子供のように引いてそのコーヒーショップに入った。大人の男が2人、手をつないでコーヒーショップに入るなんてのはおかしな図だが、まぁ、そのときはしょうがなかった。強引なやつだなぁ、と思ったけれども。コーヒーを飲みながらのその男の話はこういうことだった。

「実は、お名前は、前日のそちらのBLOGで知りました。サーバーのかなり詳しいところまでご存知のようだな、というのがよくわかった」

男の礼儀は正しいし、言葉使いにも不審なところやチャラチャラした雰囲気はなかった。

「で、お仕事を頼みたいんだけれども、この契約書をよく読んでください。契約書に書いてあるけれども毎月これくらいは最低保障します。で、ミッションがその場その場で出るんですが、それが終了する毎に、このお金が追加で出ます。。。。」

男の話は続いたが、要するに、毎日、メールで来る「司令」を待って、その通りに仕事をしてくれ、ということだ。やるべきことの能力として、自分に不足しているものはない、と思った。ちょうど、前の仕事でクライアントとうまくいかなくなってきたところだから、こちらに乗り換えよう、ということになり、すぐに契約書にサインした。男はこういうことは慣れているのだろう、ニコリともせずに、ぼくのサインの書いてある契約書をカバンに入れて、言った。

「後で契約書のコピーを送ります。それが一週間以内に届きますが、それが届いたら、契約成立、ということになります。よろしくお願いいたします」


それから数日たっても、テレビで毎日、その国の混乱ぶりが放送されている。ぼくは自分の部屋の中で煩悶した。ぼくの最後のリターンキー1つで、あの国の何千人という人が死んだのだ。

「いや、仕事だ」

そう毎日思い直して、自分に言い聞かせる毎日が続いた。そして、コンビニで食べ物は調達するが、引きこもりになって数週間を過ごした。昼でも遮光カーテンをおろしたその部屋で、自分で自分の罪を問うたが、一方で、いやこれはただの仕事だ、という思いもまたあった。そうして、その2つの思いを行ったり来たりしていた。

まだ、その苦しみから、抜け出せた、と言ったらウソになる。

 


サイバー戦争が始まった(27) 総攻撃前夜2

※本記事はフィクションであり、事実を書いたものではありません。
※本記事はこの本の続編です。他のエピソードはこちらの本をお読みください。

「容疑者X1が家を出ました」

捜査員:根本が、手元のPCで見たその様子を上司に報告する。上司の佐藤は、

「現場からの報告はどうだ?X1のGPSの行動探査と一致しているか?確かめろ」

と、根本に指示する。根本は、電話で現場で張り込んでいる捜査員のスマートフォンにテキストメッセージを送った。電話の音をさせると、捜査に支障が出ることがあるからだ。現場からは、X1の動きが実際にあったことが確かめられた。佐藤は言った。

「よぉし、根本、そのままX1の行動をGPS追跡しろ」

根本は佐藤に向かって無言で頷くと、PCに向かった。

「JR中央線に乗っているようです。千駄ヶ谷を通過。新宿を通過。。。。。あっ」
「どうした?」
「GPSの信号が途絶えました。。。。あ、今復活。小さなトンネルの中に入ったようです。今出てきました」

時間は昼。昼食の時間にかかっていた。この時間は、勤務している会社員でも、どういう行動をとるか、ということがなかなか掴めなくなる。X1の場合もそうだった。特にX1は在宅勤務をしているので、昼食はどこでとるか、わからないことが多い。しかし、今はX1の行動を調べなければならない。佐藤が言った。

「根本。今日のX1の行動は少しおかしい。すぐにヘリを出して、上空からも監視して、GPSのデータの裏を常に取るんだ」
「わかりました」

根本はヘリ監視部隊に内線で内容を告げ、こちらの監視用サーバーの位置とID/パスワードを教えた。これで、ヘリ監視部隊はX1の行動がわかり、ヘリから見たX1の行動を照合することができた。ヘリ監視部隊からの報告を聞きつつ、根本は佐藤に報告した。

「現在X1は新宿を通過。そのままJR中央線各駅停車で高円寺に到着。動きからすると、高円寺の駅を降りたようです」
「高円寺にはX1の関係のなにかがあるのか?」
「わかりません。これまでの行動とは違い、未知の場所にむかっているようです」
「わかった。監視続行」

その佐藤の声が終わるか終わらないうちに、根本が叫んだ。

「X1はスマートフォンのGPSを切ったようです」

佐藤はそれに答えて、言った。

「行動監視を、GPSから携帯基地局監視に切り替えろ。精度は少々落ちるがやむをえん」
「わかりました」

根本はそれに従って、PCの監視ソフト画面で「GPS監視→基地局監視」に切り替えた。佐藤が根本に質問した。

「おい、基地局監視で見えるか?」
「このままではだめですね。SIMを抜き取ったようです」
「わかった。基地局監視のIMEIオプションを使え」

通常のスマートフォンでは、その位置情報を得るのに、GPS(全地球位置情報システム)が使われているのは、よく知られている。しかし、そのGPSの時代以前に、携帯電話の基地局だけで大体の位置を調べていた時代があったのを覚えているだろうか?携帯電話の基地局のどこを使っているかで、その携帯電話やスマートフォンのだいたいの位置がわかる。しかし、携帯電話の場所というが、携帯電話を特定するには、通常はそこに入っている「契約書」の「SIMカード」が使われる。このSIMによって、その携帯電話やスマートフォンが誰のものか、という情報などが入る。しかし、SIMを抜いた携帯電話やスマートフォンでも、電源さえ入っていれば、緊急通報などは受け取ることができる。IMEIはそのために携帯電話個々についている固有の番号で、言い換えれば携帯電話の製造番号のようなものだ。通常の通信は、IMEIとSIMの番号の照合によって、その携帯電話(スマートフォン)を特定し、行われるのだが、緊急の場合はIMEIだけでも、携帯電話の個体を特定できるのだ。ここで使われている追跡システムは、IMEIでも追跡ができるものだ。

「だめです。IMEIオプションでも位置がわかりません」
「電源を切ったか。。。。しばらく待て」
「はい」

根本は小さくうなずいた。場には沈黙が流れた。

佐藤は言った。

「どうやら、スマートフォンの電源自体を完全に切ったようだ。見つからない」

最近のスマートフォンなどでは、電源を切った場合でも、完全に電源が切れているわけではなく、基地局との通信が僅かな電流を使って行われていることがある。こうしないと、緊急時の通信ができないからだ。しかし、2014年以前に製造されたスマートフォンでは、一部の機種で、電池を完全に抜き取って物理的に交換できるものがある。こういうスマートフォンで電池を抜くと、緊急通報も届かなくなる。IMEIもSIMのステータスももちろん取ることはできなくなる。今回のX1のような人物がそれをやると、「GPSも基地局もつながらない=位置を外部から特定できない」ということになる。完全に姿を隠すには、電波を出さないことが一番なのだ。

30分ほどたったとき、X1のスマートフォンが復活した。場所は新宿駅だった。高円寺からは、かなり離れている。

佐藤は根本に言った。

「ヘリの報告はどうだ?」
「ヘリの報告では、高円寺で身元不明の人間と接触し、会話を交わしていたようです。その後、JR中央線に乗って、新宿。新宿のカフェに入ったとのこと」
「そうか、そのカフェでスマートフォンの電源を入れ、SIMカードも入れたんだな」
「X1には小さな子供がいますので、常に家族とつながっていないと心配もありますからね」
「いずれにしても、X1の高円寺での足取りと、そこから新宿までの足取りはわからなかった、というわけだな」
「そういうことになります」
「ヘリからの報告を見ると。。。。なんだ、彼らも見失っていたのか。」
「高円寺というと並木道とかアーケードとかけっこうありますから、目視で上から見るのには限界がありますからね」

根本は高円寺の隣の阿佐ヶ谷に住んでいて、自身も子供を持っているので、このあたりのことは詳しい。佐藤は言った。

「しかし、古いスマートフォンをX1は使っているなぁ。プログラマなのに?」
「電池が簡単に取り出せるからですよ。最近のスマートフォンはiPhoneも含めて、電池は消耗品扱いで電池が取り出せませんがね。彼は位置特定されないように、電源が完全に切れる古い機種をそのまま使っているんでしょうね」

根本はさらさらとそこまで語ると、さらに続けた。

「佐藤さん。この程度の知識は、日本ではスマートフォンなどのマニアであれば当たり前の知識ですよ。特にX1だけが飛び抜けた知識を持っているわけではない。つまり、他にもそういう連中はいるはずだ、ってことです」

佐藤は根本に聞いた。

「じゃ、追跡するこちら側はどうすればいいんだ?」

根本が続ける。

「普段からその人間の行動を調べておいて、パターン化しておいて、そのパターンから外れることがあれば、アラームを出す。そういう人工知能を入れた仕組みを作れば、かなりの確率で、その人物の動きでおかしな動きを調べることができます。いま、そういうシステムを作っていますがね」
「なんでもシステム、システム。人間の出る幕はどんどんなくなっていくようだな」
「そのぶん、人件費もかからなくなる。ぼくらもそういうシステムができたら、もうすぐお払い箱ですよね」
「しかし、今回でも、結局はX1の動きでおかしなところがあっても、それはわからなかった」
「そうです」
「であれば、やはり人間の捜査・追跡というのは大切なものだな」

テロリスト追跡捜査室にほんのちょっと沈黙が流れたようだった。一本の電話がその沈黙を破った。

「はい、司令、え?新宿歌舞伎町で遠隔操作の爆弾テロ?そこに爆弾を置いた犯人は?。。。。そうですか、わかりました。さっきまで追跡していたのですが、さすがにスマートフォンの電源を切られては追跡ができませんでした。すみません」

佐藤は電話を切ってそこにいる根本らに言った。

「やられた。X1が行動を起こし、新宿で爆弾を爆発させた」

部屋には、もう一回、沈黙が訪れた。今度の沈黙は長かった。

 


 

サイバー戦争が始まった(26) 総攻撃前夜

※本記事はフィクションであり、事実を書いたものではありません。
※本記事はこの本の続編です。他のエピソードはこちらの本をお読みください。

「ああ、ここがいい」

C国大使館の黒塗りのクルマが、夜闇に潜むようにして、東京・品川の巨大ショッピングセンターが併設されているビルが見える、隣のビルの小さな駐車場に音もなく滑りこんだ。クルマの後部座席から、ぼそぼそともう一人の声が運転手に言った。

「この位置じゃなくて、もう少し奥の位置がいいな。あのあたり」

と、彼が指さしたあたりには、猫の親子がその端にうずくまっているのが見えた。暑い夏の日差しを避けて、駐車場の端っこをねぐらにしていたのだろう。見れば、近所の人がその猫の親子のために、なんらかの食事を与えているようで、アルミ製の銀色の器が鈍くその猫の親子の前に光っていた。近くに寄ってみると、それはアルミ製ではなく、ステンレス製のサラダボールだった。古くなったのを、猫の親子用に餌入れとして使ったのだろう。クルマがその猫の親子のいるあたりに近寄ると、猫の親子は警戒して親子でそこを離れた。

「ここでいいか? 、Leeくん」

運転手はそう言うと、クルマのエンジンを止め、クルマの明かりを消した。話す言葉は日本語だったが、両方ともC国人ではあった。両者とも日本には長く、日本語は堪能だ。Leeは米国に留学後、米国で知り合った日本人の妻がいて、C国の本国の言葉は、国籍があるにもかかわらず、苦手だった。米国にいたころは、もちろん英語だったし、日本に来てからは日本語ばかり使うようになっていたからだ。運転手も日本でのC国大使館生活が長く、日本語はうまい。二人はC国という同郷の2人でありながら、日本語で意思の疎通をしたほうがはやかった。

「OK。ここの電波は最高だ。このままにしていて。だいたい30分もあればOKですよ」

Leeは日本語の会話の中にやたらと「OK」を入れるのがクセだった。

しばらくLeeが作業していると、数分で野良猫の親子がそこに戻ってきた。人懐こい。食べ物が少ないらしく、Leeの居るクルマの後部座席ドアに近寄って、外で鳴いている。食べ物を要求してるようだ。

「運転手さん、なにかあげたら?」
「今日の昼は時間がなくてね。菓子パンを買って食べたんだが、その残りがあると思うんだが」

運転手は、ダッシュボードを開けて言った。

「あ、あった。これをやろう」

運転席のドアを開ける音に、猫の親子は運転席のドアに近寄ってきた。運転手は猫に菓子パンの残りを投げた。猫の親子は、それを持って、自分たちの巣、というか、サラダボールのある背後の植え込みに姿を消した。

それから30分を少し越したところで、Leeは運転手に言った。

「終わった。なにをしたかは、ここでは言ってはいけないことになっているから言わないよ。でも、万事OKだ」

駐車場の前には、大きな20階建ての、日本ではその名を知らない者はいない、鉄鋼メーカーからIT企業に転身した、といわれたH工業の本社ビルがあった。夜遅くまで、煌々と明かりがついている。

黒塗りの大使館のクルマは、静かにエンジンをかけて、また滑るように駐車場を出た。


それから45分後。Leeの乗ったC国大使館のクルマは、大使館に直接向かわず、東京都内のあるホテルの駐車場に入った。Leeも乗ったままだ。Leeは言った。

「ちょっとここで待っていてください。これが、今日最後の私の仕事です。こちらも30分で済む予定ですが、もしも1時間、なにも連絡がなく、私がここに帰ってこなかったら、私を置いて、ここからすぐに立ち去って、大使館に戻って、私の言うとおりにしたことをShinさんに話をしてください」

運転手は黙って頷いた。

Leeはクルマを降りると、ホテルのロビーでPCを開けて、作業をはじめた。上のボールルームの1つでは、大学かなにかのOBの集まりをやっているのだろう。歌を歌う声と乾杯の声が、ロビーにも響いていた。それから、30分、Leeはロビーのソファの上で、小さくひとりごとを言った。

「やった」

すぐにノートPCのフタを閉めて、急いで駐車場に向かった。が、急ぎすぎた。その足早の様子を不審者と思われ、ホテル内の2人の警備員に呼び止められた。身体検査をされ、ノートPCを開かせられ、外国人登録証を見せた。時間がたった。ここで時計を気にするしぐさをしてはいけない、と、Shinさんには聞いていた。そこで、落ち着いて「まぁ、クルマが行っちゃったら、電車で帰ってもいいんだ」と、自分に言い聞かせ、落ち着いた風を装った。あせったところを見せてはいけない。

不審尋問は結局10分くらいで終わった。不審なところは見つからない、ということでもあり、Leeはほっとした。が、そのほっとした表情も見せてはいけない、と、Shinには言われていた。

「お手間をかけさせて申し訳ございません。ありがとうございました」

と、警備員に挨拶をして、Leeはゆっくりとその場を後にして、エレベーターに乗り、さっきの声がしたボールルームの階に行く。その後、エレベーターを乗り換えて、駐車場のある地下に行く。不審に思われないために、こういう気を使う、ということをShinには叩きこまれた。

結局、駐車場に着いたのは予定していた時間の1分前。危ないところだった。運転手はもうエンジンをかけていた。

Leeは大使館のクルマに乗り込み、後部座席に座った。ドアを閉めると、数秒でクルマは駐車場のスロープを上がって、駐車場の支払いを終え、表通りの明かりが見えるところまでやってきた。表通りの流れに乗るため、運転手が左右を注視しているとき、左右から数人の警察官がクルマを取り囲んだ。

「止まれ!ドアを開けろ!」

警察官の鋭い声があたりに響いた。フロントガラスには、警察手帳を広げて見せられた。もう逃げられない。運転手は仕方なく、エンジンを止め、ドアを開けた。


「Leeって男は、米国の大学でハッカーやハッキングのことについて勉強し、非常に深い知識を得た。教授の覚えめでたい優等生だったとのことだ。そして、大学でやはり留学中の日本人の妻と知り合い、米国で結婚。妻の卒業と帰国にあわせて、一緒に日本に来た。その妻は、日本有数の鉄鋼企業からIT企業に転身したH工業の役員の娘だ。その関係で、Leeは日本ではH工業系列の仕事を主にしているシステムハウスに就職した」
「そこまでなら不審なことはないな」
「ところが、先週のことだ。Leeはそれまでビザの更新以外では行ったことのない、C国大使館に行った。C国大使館では、歓待を受け、Shin情報統括部長と会ったそうだ」
「ここからがきな臭い感じがするな」
「取り調べでの供述によれば、Shin部長から直々の電話をもらって、しぶしぶ行ったということだ」
「そこでなにがあったんだい?」
「これから数日だが、毎晩、大使館で行われているShin部長のセミナーに出るように言われたそうだ。報酬は彼の給料の1か月分だったそうだ。そこで、Leeは数日ならいいか、ということで、C国大使館に通った。そして、サイバー戦士としてのにわかの教育を受けたようだ」
「なるほど」
「そして、Shin部長から昨日、今日の計画について告げられた、とのことだ。しかし、C国大使館の外で見張っていたうちの仲間がいてな、どうも最近、見慣れない顔がいくつも大使館に呼ばれていて、なにかしている、という報告があったから、毎晩来ている連中の写真を撮って、調べた。その中にLeeもいた、ってことだ」
「え?じゃ、Lee以外にも同じようなのがいっぱいいるのか?」
「そうだ。もう全て身元は割れているが、今は泳がせてある。最初に動いたのがLeeだった、ということさ」

新聞記者の中尾は、情報犯罪統括部長の鈴木にさらに聞いた。

「で、Leeはなにしていたんだい」
「それも彼は吐いた。H工業の社内ネットワークに外部から入れるバックドアを作れ、というのが彼に与えられたミッションだったらしい」
「やったのか?」
「Leeは天才というほどではないが非常に優秀だ。先週のうちに妻のつてで、H工業の社内を見せてもらって、情報関係のセキュリティ担当者と仲良くなり、彼の家族やペットの名前などを聞いた。犬が好きか、猫が好きか、なども聞いたそうだ。その情報がパスワードの横取りに非常に有効なんだな。担当者は猫好きで、やはり猫好きのLeeと非常に気があった、とのことだ。そして、H工業内部の情報を聞き出した後、パスワードになりそうなキーワードのデータベースを作り、それを持ってH工業本社裏手の駐車場から、H工業内部の無線LANシステムに侵入。その後、社内システムに侵入。そして、バックドアを作った」
「成功したのか!」
「そうだ」
「その後は?」
「離れたところにあるホテルに入って、ホテルの公衆無線LANから、そのバックドアがちゃんと外部から入れるかどうかを確かめたそうだ」
「なんでホテルで?」
「自分の会社からのアクセスなんかしたら、会社が疑われ、自分が疑われる可能性が高くなるだろう?」
「そういうことか」
「しかし、その直後によく逮捕できたね」
「当然、マークしていたからね」
「ちょっと待った。。。」
「なんだ?」

ここまで聞いて、記者の中尾は鈴木に聞いた。

「しかし、重要な情報ではあるんだが、こんなこと、うちのメディアでは書けないよ。もちろん、全部出すわけにいかないだろう」
「とりあえず、社名と個人名は伏せて、ストーリーはそのまま出してほしい。この発表は、C国政府に対する警告でもあるからだ。ただし、世の中に広まっている、<自衛隊関係のシステムを作っていることで有名なH工業>という言い方はなしだ」
「わかった」

中尾が外に出ると、真夏の生暖かい夜風が、彼を包んだ。

「軽くいっぱいやって帰るか」

真夏の夜のメディアの記者の小さなひとりごとは、道の傍らにいた黒と白のぶちの親子の猫が聞いていただけだった。

 


サイバー戦争が始まった(25) 掃除ロボット

※本記事はフィクションであり、事実を書いたものではありません。
※本記事はこの本の続編です。他のエピソードはこちらの本をお読みください。

職場から帰ってきたら、掃除ロボットが家中をくまなく掃除しておいてくれている。先日は、風呂場に迷いこんで風呂場との敷居に乗り上げて風呂場から出られなくなってあたふたしていたが、それも学習したようで、最近はそういうこともなくなった。いま、掃除ロボットは掃除を終えて、自分で充電器のところに行って、充電している。本体上のLEDが青く点滅している。充電中の印だ。休憩タイム、という感じだ。

もちろん、掃除ロボットの様子は掃除ロボット自身についているカメラで職場にいる自分のスマートフォンでその動きを見ることができた。

「あ、今はダイニングを掃除している」
「今度は居間だな」

という感じだ。部屋を変わるごとに、スマートフォンには「通知」が来るように設定してある。何回かの学習の後、掃除ロボットは部屋の間取りを覚え、部屋を変えるごとに、通知が来るようになるのだ。

家に帰って、テレビを見ながら夕食を作った。夕食はスパゲッティを作ったのだが、ガーリックを入れすぎたようだ。美味しいというよりも少し苦味が出た。と、テレビのほうを見ると、テレビのすぐ横にある掃除機ロボットの充電ステーション上にあるロボットのLEDの点滅が消えた。充電が完了した印だ。と、そこまではいつもと同じだったのだが、ロボットのLEDは一瞬止まったかと思うと、再び点滅をはじめた。しかもその点滅は1秒間に数回、という速さだった。充電しているのとは明らかに違う。ぼくはそのLEDの早い点滅が、なんだか危険を知らせているもののように見えて、すぐに隣の部屋に行って、隣の部屋とのあいだのドアを閉めた。

そして数分がたった。

なにも起きなかったので、ちょっと様子を見に、おそるおそる、ドアを開けた。

LEDの点滅は終わっていた。スマートフォンの画面を見ると、

「ちょっとしたトラブルがありました。現在修復中です」

と表示が出ている。そして、数分で表示は変わった。

「ありがとうございました。修復に成功しました」

その掃除ロボットはときどき、こういう変な動きをすることがあったが、みな「トラブル」「修復中」などの表示が出ていて、本当になにがあったのかは、それを使っている自分には詳細は知らされていない。とは言うものの、毎回、なにか大きな問題がある、というわけでもなく、普通に動いていた。おそらく、ソフトウエアのアップデートなどがあったこともあるのだろう。掃除ロボットは、おおむね、正常に動いていた。

そんなある日、いつものように帰宅すると、掃除ロボットがいない。「またどこかでひっかかっているんだろう」と思って、マンションの部屋中を探したら、いた。仕事場の部屋の机の下にいた。

私の仕事はコンピュータのプログラマーで、普段は会社で仕事をするのだが、会社の定時内ではできない仕事を、家に持ち帰っていた。そこで、自分の部屋の一部を仕事部屋にしているのだが、そこには、仕事の文書があちこちに散乱している、ということはない。ほとんどは電子ドキュメントなので、部屋のPCから暗号化された回線からアクセスして閲覧する。しかし、その暗号を解く鍵(パスワード)の文字列や単語はPCの中に入れておくわけにはいかないし、電子文書の一部にしておくと、ハッキングなどの被害で流出することもあるから、忘れないように、メモ帳の紙切れに書いておいて、財布の中などに入れておくのだ。頭の中に入れておけるような簡単な「パスワード」ではないので、仕方なくメモにしている。しかもプログラムもドキュメントも、全てクラウド上にあるから、私のPCの中にはドキュメントのデータはない。セキュリティのためだ。上司には、家で仕事をすることを言って了承を得ているので、クラウドのドキュメントやプログラムに家からアクセスしているのは事前に伝えて、許可を得ている。

そのメモが、床に落ちていて、掃除ロボットは、そのメモをゴミだと思って吸い上げようとして四苦八苦していた。というのも、その日のメモは普通のメモ用紙に書いたものではなく、職場の手元にあったチョコレートのケースに書いて持ってきていた。つまり、厚紙の箱に書いてあったので、掃除ロボットは吸い取れずにいたのだ。


ある日、職場に出ると、朝一番でクラウド管理担当の濱田から内線が入った。

「すまんが、ちょっと来てくれないか?」

なんだろう、と思って、だいぶ前からクラウド管理室みたいになった「情報システム室」の扉を開けた。会議室に使っている一角に責任者の濱田がいる。彼は開口一番、言った。

「大変なことかもしれない。僕の質問に素直に答えてくれ」

え?その声に、なにか自分の身に重大なことが起きたことがわかった。インタビューは長時間にわたり、途中で情報セキュリティ担当の白根も加わって、根掘り葉掘り、最近の自分の行動について聞かれた。あまりに長いので、私は叫んだ。

「いったいなにがあったんだ?ぼくがなにか悪いことをしたみたいじゃないか」

濱田とセキュリティ担当の白根は黙ってぼくの目を覗いた。それが数十秒続いた。濱田は白根に目配せをして言った。

「おい、話をしていいだろう」

目はそう言っていた。白根は話はじめた。

「田代さん」

白根が私の名前を呼ぶ声が少々上ずって聞こえたのは、おそらく錯覚ではない。それだけ重大なことが起きたのだ、ということを感じるに十分だった。白根は続けた。

「実は、昨日の深夜2時、何者かが当社のクラウドにハッキングに入ったらしい。らしい、というのは、アクセスログからわかったことなのだが、ログで見ると、閲覧したドキュメントやプログラムがどうやら君の担当のものの関係が多いのだ。君かと思って、社員全員に付けている健康モニタを見ると、田代さんはその時間、しっかり就寝中のようだった。」

当社の社員は、健康管理のためと称して、オンラインで常にGPSなどもついた「常時健康管理タグ」を胸に貼り付けている。これで常に身体の状態を会社が知ることができ、異常があるとすぐに健康管理室に呼び出される仕組みなのだ。この「健康管理タグ」はそういう社員の時間外の管理にも使っていたのか、と、この時知った。

「田代さん」

白根は再度私の名を呼び、畳み掛けるように続けた。

「どうやら、そのハッカーの行動をログから調べると、閲覧されたドキュメントはXXとXX、それぞれ時間は午前2時23分と2時25分。当然、その時間、あなたは寝ているのは確認済だ。で、あなたのクラウドにあるドキュメントは取引先から預かった機密文書だから、あなたにはランダムに生成されたパスワードを渡してあって、それがないとアクセスできないと同時に、あなたのアクセスであると確認するわけですよ。つまり。。。」

私はその後を続けた。

「つまり、私のパスワードが漏れた。。。。。」

白根は黙ってうなずいた。数秒間だったが、どっと冷や汗が流れたように感じた。問題のドキュメントは、元請けの企業から「絶対に外部流出はしないように」とのきついお達しが何度もあったものだからだ。理由は簡単だ。ある防衛機密に関する文書で、日本の将来の防衛に重要な意味を持つ「サイバー新兵器」の開発のための文書だったからだ。加えて、スパイ的な動きをするものでもあり、もしもそれが外部に漏れたら、大きな政治問題にさえ発展しかねない。「こんなものを開発していたのか」ということが知られてはまずいものだったからだ。おそらく、防衛省から元請けへも、さらにきついお達しがあったものであろうことは、十分に想像できた。

私のクラウドへのアクセスパスワードは3日間で取り替えられる。パスワードはランダムに生成され、情報システム部から私に、直に担当の白根に会って、口頭で伝えられていた。私は自宅からのクラウドへのアクセスのため、そのパスワードを聞いた直後にメモし、それを使って自宅からアクセスしている。つまり、パスワードの流出はこの3日間以内、ということになる。

あ、と思い当たった。掃除ロボットだ。私は濱田と白根がいる前で言った。

「おそらく、ですが自宅の掃除ロボットがハッキングされたのではないかと思います」

濱田と白根に自宅の掃除ロボットで起きたことをはなした。ある日、帰宅したら充電ステーションにロボットがいないのでおかしく思っていたところ、仕事部屋の床で、パスワードをメモしたチョコレートの箱の上で吸い取れない、とあたふたしていたこと。そして、おそらくはそれは吸い取れない、とあくせくしていたのではなく、パスワードをそこで撮影してどこかに送ったのではないか?ということ。そして、提案した。

「明日、出勤時に自宅の掃除ロボットを持ってきます。調べてください」

濱田は白根に命令した。

「そうしよう。白根くん。結論はできるだけ速く。遅くとも、明後日までに私だけに知らせるように。その後、田代くんにも、私が知らせる」

白根は

「わかりました。では、明日朝、よろしくお願いします」

と答え、会議は終わった。


翌朝、私は自宅から掃除ロボットを持って会社に向かった。私は自分の机に向かう前に情報システムに行き、白根にロボットを渡した。私の会社での仕事はその日は休みになったが、会社にいるように、との命令が上司からあったので、なにをするでもなく、机に向かうしかなかった。しかも、私のPCやスマートフォンへのアクセスはその日、禁止された。横の机にいる同僚のPCの画面を見てもいけない、ということなので、仕方なく、タバコを吸うわけでもないのに喫煙室にたむろっているしかなかった。当然、本件のことは口外無用と言われているので、他愛もない雑談をするしかなかった。喫煙室では、「機密保持のため、喫煙室での会話はすべて録音されています」という張り紙があった。話題が尽きて困ったが、仕方がない。まるで犯罪者扱いだが、扱っている情報の内容を考えれば、納得はできた。窮屈な一日ではあったが。

その日の夕方6時も過ぎた頃、喫煙室にいる私に連絡があって、また情報システム部に来るように、とのことだった。

小さな会議室に入ると、濱田室長一人が待っていた。

「今日一日、窮屈で申し訳なかったな。結論だ」

そう前置きすると、濱田は話始めた。

「掃除ロボットはK国製のもので、先日、外部からのバックドアが発見され、大騒ぎになったモデルだ。そして、ロボットの下には、ゴミの発見用のカメラがある。確かな証拠は得ていないが、状況証拠からして、掃除ロボットがハッキングされ、そのカメラが使われたのは、間違いないだろう。LEDの早い点滅はソフトウエアのアップデートのときにそういう光り方をする。おそらく、ソフトウエアのアップデートと同時に、ハッキング用のソフトウエアも入れられたのだ。今日はこのままこのロボットを君に返すので、いつもの通りに使ってくれ。ところで、明日から使うクラウドへのパスワードはこれだ。メモしておいてくれ」

濱田がなにをしようとしているのかは、私にもわかった。私の掃除ロボットに侵入したハッカーを調べるため、内部に細工をしてあるのだ。そして、全てのアクセス履歴を使って、侵入の証拠を得よう、ということだ。

「わかりました。今夜、帰って掃除ロボットを置いておきます」

私は掃除ロボットを受け取り、自宅に帰った。そして、先ほどもらったクラウドのパスワードの書いたメモを、自宅の仕事場の床に置いておいた。

深夜、寝床で息を殺して観察していると、ロボットが動き出した。すると、仕事場の部屋に行き、紙を踏む音がした。パスワードのメモを発見したらしい。今頃、会社の情報システムにそのパスワードを使ってアクセスしていることだろう。なかなか寝付けなかった。しばらくするとしらじらと夜が開けた。ハッカーは仕事を終え、同時に「囮捜査」も終わったようだ。

寝られなかった夜が開け、朝が来た。そのまま、私はまた掃除ロボットを持って会社に向かい、今日も自分の机に座る前に、情報システム室に向かい、掃除ロボットを白根に渡した。白根も徹夜だったのがわかる。目が死んでいた。白根はぼそぼそと私に言った。

「ありがとうございます。やっぱりそうでした」

私は無言で首を縦に振って、自分の席に向かった。

昼近くになって、内線が鳴った。濱田室長だった。

「昼ごはんは情報システムで弁当をとったから、ここで食わないか?」

当然「あの話」であることは間違いなかった。

お昼の時間になった。私は情報システム室に向かった。会議室のドアを開けると、濱田室長、白根、そして、社長が会議室にいた。さすがに社長が来るとなると、昼の弁当は少々豪華だ。発泡スチロール製だが、赤と黒のおせち料理を入れるような大きめの弁当箱の弁当だった。一緒に置いてあるペットボトルのお茶も、高級なものになっていた。

濱田室長が弁当を食べながら話を始めた。

「田代くん。白根くんによると、昨晩の囮のパスワードで侵入者は会社のクラウドに入ってきた。やはりロボット掃除機がハッキングされていたんだな。ハッカーが欲しそうなニセの情報の入ったドキュメントを閲覧していったよ」

私も昨晩自宅での深夜の掃除ロボットの動きを報告した。濱田室長は満足した顔になった。

「やはりそうだな。ロボット掃除機内部でのログを詳細に取得し、加えて、そのログをオンラインで当社の別のクラウドあてに送るように設定しておいたのだが、後半は気がついたらしく、ハッカーの動きは鈍って、すぐにログアウトしていった。しかし、それまでの行動は詳細に記録できた。これは証拠になる。社長とも話をしたんだが、今回のハッキング事案は、誰が防ぎきれるようなものでもなかった、ということで、田代くんにはお咎めはない。むしろ、当社の情報システム室の技術力を示すために、今回の全てのいきさつを白根くんに<重大インシデント・レポート>として出してもらい、元請けのH社、掃除ロボットメーカー、など関係者に送ることにした」

そこまで濱田室長が語ると、社長が口を出した。

「まだあるだろ?」

濱田室長は続けた。

「そして、当社の社員には、これから、自宅で使っている全ての掃除ロボットについて、使用前に会社に提出させ、ハッキング対策を施すことにした。掃除ロボットだけではなく、自宅の太陽光発電システムや、テレビなど、コンピュータを内蔵してネットにつなげているすべての電子機器を調べ、対策する。これは、社のセキュリティの意味もあるが、こういうことまでしている、という宣伝効果も考えて、プレスリリースで公表することにした。当然だが、その過程でハッキングに対する技術も蓄積される。家電のハッキング対策用の製品も今後はリリースしようと考えている、というのが、社長の話だ。これからは当社も<セキュリティ>を商品にできる、というわけだ」

さすが、ITの業界で長くやっている社長だ。転んでもタダでは起きない。

弁当を食べ終わり、濱田室長と社長の話も終わったので、部屋から出ようとした。そのとき、社長が私を呼び止めた。

「田代くん。これからはサイバーセキュリティが流行する。情報システム部から枝分かれさせて<サイバーセキュリティ事業推進室>を作ることにした。部屋は既に本社の裏側に新しい部屋を借りておいた。明日から、そちらに出勤してくれたまえ。君は室長として頑張ってもらう。いいね。頼むぞ。後で新しい部屋を見てくるといい」

田代は「社長らしい、電光石火の早業だ」、と感心した。言われるままに、昼食時間が終わった社を出て、裏手のビルに足を向けた。

 


サイバー戦争が始まった(24) 「帝国新情報網」

※本記事はフィクションです。現実のことを描いているものではありません。
※本記事は、この書籍の続編です。他のエピソードをご覧になりたい場合は、こちらの書籍をお求めください。

その構想は最初は民間の小さな団体が、日本の「国防」のうちの「サイバーセキュリティ」の貧弱さを憂えて立ち上げたものだった。内容は、(1)日本国独自のサイバー空間(I3 – Internet In Internet)を作り上げ、(2)日本国内のICT機器、インターネットのサーバー、IoT機器、クラウドのサーバーなどはすべてこのI3ネットワーク内でのみ接続を許可し、(3)外部のインターネットの接続はすべて「I3ゲートウエイ」を通して行う、というものだった。この方法によって、日本国内のインターネット環境は外部からのサイバー攻撃から守られる、ということになる。加えて、「I3ゲートウェイ」では、純国産の人工知能をフルに使ったあらゆるサイバーセキュリティ対策が行われ、同時に、国内から国外への重要情報の漏洩や、逆に国内を脅かすような国内のテロリストと外国との通信の監視を常時自動で行う、というものだった。このI3は、日本語では「日本帝国新情報網」と呼ばれた。

そして、日本政府の政権が長期政権として10年を迎えたとき、その記念として、民間で行われていた各種のプロジェクトが政府主導に引き上げられることになった。そのとき、真っ先に取り上げられたのが、「日本帝国新情報網」構想だった。予算は数百億円規模だったが、戦争がリアルな核兵器などからサイバー戦争に向かっている時期と重なったこともあり、多くの予算がこのプロジェクトのために割かれることが国会で可決、緊急時特別措置法によって異例の即時予算執行が閣議決定された。

日本国内のセキュリティのために単純にインターネットを外部世界と切断すると、グローバル化したビジネスに大きな支障が起きる。特に、日本では米国や欧州との関係のみならず、中国、韓国、東南アジアとの関係が非常に重要な位置にあり各国との連携を切るわけにはいかない。そこで、外国とのやりとりを常に監視する出入り口を持つインターネット上の「囲い」を作り、その囲いの中と外の通信は24時間、人工知能システムによる厳重な監視対象とし、通信そのものはテロなどの情報のやりとりなどの問題のあるもの以外は、自動的に許可できるシステムとする、という構想だった。

現在の日本国内のインターネット接続はすべて日本国内の巨大通信会社等を経由しており、この通信会社でI3への接続を義務付ければ、日本国内のあらゆるデータ通信をI3ゲートウェイでの監視対象にできる。この通信網から漏れる外国との通信は、古いモデムなどでの音声回線を使った直接のデータ通信か、あるいは、衛星通信経由でのデータ通信だけとなった。日本ではI3の稼働とともに、旧来のFAXの使用を制限する法律が国会を通過、即日施行されたため、音声モデムを使うこと自身が「怪しい行為」となった。また、衛星通信経由での外国との無線通信は総務省電波管理局の規制の枠内にあり、日本国内で使われる衛星通信設備は可動型のものを含め、すべて許可制で、許可がない衛星通信電話は使用ができなくなった。当然、許可を受けた衛星通信装置も監視対象とされていた。

日本の当局の監視対象とならないデータ通信で残るものは、通常回線の中を通る暗号化通信のみとなった。しかしながら、暗号化通信も、量子コンピュータなどの「超高速演算コンピュータ」の発達により、それまでの暗号化技術はほとんど無効化されており、これ自身が銀行オンラインなどの信頼性を落とす時代に入っていた。

ある商社。外国から超低損失の光ファイバーケーブルの受注を受け、国内にそれを輸入する仕事だった。

「おい、I3G(I3ゲートウェイ)から警告が来たぞ」

田上課長が苦い顔をして私に言った。課長は続けた。

「どうやら、今度の超低損失光ファイバーの輸入商談に文句を言ってきている。読もうか?」
「お願いします」
「じゃ、原文のまま、読むぞ。」
「貴社のX月X日付けのC国のX社からの輸入案件ですが、I3Gの人工知能による警告が発せられましたのでお知らせいたします。法令により、本警告が発せられた通信は、必ずI3Gコンソーシアムへの「上申書」が提出され、それが許可されてからのお取引と、そのための情報のやり取りをお願い申し上げます。なお、本警告書が発せられた時点から、貴社の外国との通信は常時、監視員によって監視されていますことをご承知おきください。なお、監視対象通信は以下のものです。」
「ってことだ。まぁ、防衛関係の設備を扱っている当社としては毎度のことではあるが、面倒だな」
「じゃ、あれを使いますか?」

横で聞いていた鈴木が田上課長に言った。田上課長が答える。

「I3Gの警告に素直に従っていたら、今回の商談は競合が強力なM社だからな。商売の時期を逃してしまう。使ってくれ。慎重にな。」

鈴木は神妙な面持ちで「それ」を使うためにPCに向かった。数分たっただろうか。鈴木が田上課長に言った。しばらくすると、会社の最上階にあるオフィスの電源が一瞬落ち、元に戻った。明らかに、なにか大きな電力を使う装置が稼働し、その突入電流の影響で、瞬間停電が起きたのだ。その数分後、鈴木がPCを操作し始めた。

「設定しておきました。使い方ですが、社内のAゲートウェイでの送受信は普段通り使い、今回の商談用の通信はBゲートウェイを使ってください。ここにいる人のPCには、私が作ったPROXY切り替えツールがインストールしてあります。AゲートウェイとBゲートウェイの切り替えには、このアイコンをクリックしてください。アイコンが青のときはAに、赤のときはBに接続されています」

それには田上課長も言葉では答えなかった。軽くそこにいいる全員に目配せしただけだ。

それから進む商談に、田上課長は満足したようだった。それから数日たったとき、田上課長は私や鈴木もいる全員に言った。

「よしっ、取れたぞ。これも迅速な対応をしてくれた鈴木くんのおかげだ。鈴木くん、設定を元に戻してくれ」
「わかりました。重力波通信装置をゲートウェイから切り離します」

PCの画面を見ていると、全員のPCから、社内ゲートウェイ切り替えのアイコンが消えた。

重力波通信は、従来の電波通信の枠内に収まらない新しい通信方式で、まだ一般的には知られていない。表に見えるものとしてはその可能性を示す論文はあるが、製品はなかった。ところが、日本でI3規制が始まり、I3コンソーシアムができI3Gが稼働する直前、ドイツで重力波通信装置の開発が実用域に達し、最初の実験的製品が世に出た。その情報をこの商社はいち早く手に入れ、その数億円する通信装置を購入し、自社用に自社ビルの屋上のすぐ下の屋根裏とも言うべきところに設置しておいたのだ。対向の通信相手はドイツのボンにある。ボンから、I3Gを通らずに、また無線通信も使わずに、I3の外部と通信ができるゲートウェイを、この会社は確保していたのだ。重力波通信装置を使うことは、違法ではなかった。なぜならば、重力波通信は無線通信ではなく、電波法で規定されていないものだったからだ。

PCでの操作を終わった鈴木は言った。

「じゃ、重力波通信機の電源を切ります」

部屋の中の蛍光灯が少し明るくなったような気がした。