日本の「危機」の姿

この数年で日本人の価値観や働き方は急激に変わって来た。非正規労働の常態化、製造業の没落、一流と言われる大企業の存亡の危機の到来、日本が最高に良かった時代を知る人たちの高齢化、世界の中での日本という地域の立ち位置の変化。この変化は20年ほど前から始まっていたのだが、恵まれていたがゆえに気がつかなかった多くの大人は要するに頭が悪く、訓練もされていなかったため、この変化を受け止め新しい時代を築くことができなかった。

思い返してみればこの変化に気がつく人は少なく、この変化に対応できる頭の良い人はさらに少なかった。大多数は結局変化をなかったことにして見ることをやめた。その結果の衰退は当たり前といえば当たり前の結果である。かつてのローマ帝国もこうやって滅んでいったのだろう。地域やその政府やその地域にある人間の組織は病に侵されたように内部から腐っていくが、誰もその腐敗に立ち向かうことができず滅びの道をひた走る。自らの身を守ることばかりで自らの身を切って全体に奉仕して命をかけるノーブル・オブリージェが美徳である社会は地上からなくなった。日本もその一つらしい。それを知る老人の寿命もそろそろ尽きるだろう。

小さなことかもしれないが、道端にあるゴミを拾う。こんなことの積み重ねがほんとうは必要なのだ。そのゴミがあることで誰が不快になり、誰が困るのか?自分がその「困る人」だったら、どうしたらいいのか?そういう想像力がなぜ働かなくなったのか?

自らと自らの属する人間の社会の変化は常にある。その変化を感じ取ることの大切さを結局は誰も教えようとしない。人間社会とは他人への想像力を基盤に作られている。その想像力が働かないのだ。

これが本当に我々自身に訪れている危機そのものである。と、私は思っている。