日本は製造業教育には最適

近親者に、大学の工学部に入って、そこで勉強をしている若者がいる。友人、知人に、大学の工学部で教えている人がいる。大学にいるうちは、この「教える側」はおそらく、日本の製造業で最高の環境にいた人たちだから、それなりの教育ができる。教授陣の知識の水準は非常に高く、教える意欲も高い、と、私は感じている。しかし、いっぽうで、教えられる側の学生の立場に立つとどうだろう?教えられる側の学生に高い製造業の技術能力が付いたとして、いま、日本では工学部を出た学生の仕事が豊富であるとは言い難い、という状況がある。

世界の製造業の舞台は、日本から去り、中国やインドを筆頭としたアジア諸国に移っているのが現状だ。であれば、学生たちには、最低でも英語でのコミュニケーションのスキルを一緒に教育し、世界のどこに出ても「稼げる」ようにする必要があるのではないだろうか?英語に加え、できれば中国語のスキルもあるともっと良いとは思うが。

一言で言えば、日本の製造業は既に死んでいる。しかし、まだ生きる道はある、と、私は思う。

それがあたかも昔のように「再興」できるかのような「モノ作り」などという古臭いキーワードで将来のある学生を騙さないようにして欲しい、と、私は思う。

日本の製造業は衰退したが、日本という地域にはおカネはたまった。そして、高度に教育された製造業の人材もいっぱいいる。つまり、高度な製造業の教育と、製造業への投資については、日本は非常に良い環境にある、とも言える。「モノ作り」を教えるのであれば、それはあくまで「投資のため」「海外への教育のため」という目的を持つべきだろう、と私は思っている。日本でモノを作って儲けられない、というのは、日本の製造業が成功したからであって、失敗したからではない。その成功により、人件費が上がり、土地代もあがり、日本という地域ではモノを作る、ということを直接しても、高いものしかできず、売ることができなくなった、というのが真相なのだから。日本人はよくやったし、失敗したわけでもない。全てうまくやったのだ。その結果、製造業が人件費や土地代がもっと安い地域に移って言ったに過ぎない。嘆くことではない。

やり方と、生きるための居場所を変えること。それが、本当に日本人に必要なことなのだ。

「XXができます」という人材を育てるのではなく「XXを作れば売れると思う」という提案ができる人材を育て、「XXに投資しよう」というおカネを用意すること。おそらく、日本に必要なのは、こういった経済原則に沿った、新しい動きなのではないか?

 


台湾と日本とのつながり


 

思い出したので、書いておくけれども、台湾と日本とのつながりというのは、非常に深い。お隣の韓国とは「大陸つながり」であって、こちらも深いのだが、少々意味が違う。まず、日本人というのは、大陸から来たモンゴル系の人と、南方から来た太平洋の海洋人の混血だ。台湾人も、朝鮮半島を介していない代わりに、非常に大陸から近い狭い海峡を渡ってきている人と、南方から来た人種の混血であって、日本人とその始祖が近い、と言われている。日本のアイヌの民族衣装と、台湾の少数民族の民族衣装は、似ているところ、特にカラフルな色使いなどが似ているが、これは同じルーツから来たものだろう、と思わざるを得ない。あくまで、自分の経験にもとずく私見だけれども。

そして、近代になって、「国」の形が次第にできてくると、台湾は大陸を支配していた「中華民国」の一部、どちらかというと「田舎」、というか「僻地」扱いだったわけだが、この中華民国の人たちは「漢民族」ですね。で、「中華」は「中央にある華(花)」という意味。とても誇り高い。でも台湾の先住民は、その昔、清(これは260年続いた「満州族」の国家)の時代にあって、主に福建省の人たちが開拓で台湾に送られ、その人たちが台湾で「混血」となった結果。この人たちが台湾で言うところの「本省人」の元なんですよね。このとき、海流の激しい台湾海峡は海難事故が多くて、台湾に開拓のためにわたってきたのは、男性が多く、現地の女性と結婚する例が多かったんだな。これが本省人の元と言われています。この話は大阪にいらしていた「呉」さんという、「自由時報」の会長から日本語で話を聞いたんだけどね。もう故人になられました。。。。そのときのエピソードはあるけど、ナイショ。

1911年に、中華民国が設立。辛亥革命の後。この革命のための資金調達に世界中奔走したのが「孫文」。彼は世界中回りすぎて、中華料理はほとんど食べていないのだとか。で、彼は日本での支援者も多く、戦前の右翼の巨魁と言われ、伊藤博文にも大声で意見したという「頭山満」、首相になった「犬養毅」なども支援者。早稲田大学の隣の鶴巻町という街に頭山の豪邸があって、そこに孫文が匿われていたこともあったという。つまり「中華民国」人脈というのは、日本の右翼と深いつながりがあった。これは今も続いてるね。孫文は都合10年以上日本にいたとのこと。

1949年に大陸中国を支配していた「中華民国」が、大陸から追い出され、台湾に臨時政府を作ったわけで、この人たちは「中国共産党」に殺されかかったわけだから、「共産党嫌い」なんだな。この人たちが台湾に後でやってきた人、ということで「外省人」と呼ばれるわけです。「本省人」にとっては、「外省人」なんていい迷惑、という面がけっこうあるわけですよ。後から押しかけてきたんだから。しかも2年前の1947年には、「2.28事件」という、本省人の大虐殺を行った政府が来たわけでね。そりゃ、本省人にとったら受け入れ難い。でも、受け入れた。

で、今の民進党の蔡英文さんは、本省人系だし、民進党という政党も本省人系なわけですね。だから、大陸中国の共産党とは仲が悪い。台湾の「外省人」も「本省人」も、まぁ、大陸の共産党とは距離を置いてるわけですよ。でも、同じ北京語でしゃべるしね、外省人にとっては同じ「漢民族」なわけでね。外省人系は大陸とつながりが深い。でも、数から言うと本省人のほうが多くて、完全に1つにしちゃうには無理がある。本省人の人と、外省人の人って、今でも顔つき違いますよ。慣れてくると、ほぼ見分けがつく。全部じゃないけど。

いやもう、台湾を本格的に勉強すると、複雑な話ばかりでね。いろいろな話を聞きましたよ。

日本と台湾の100年以上前からの近代を知ると、台湾というところの歴史の複雑さがわかると同時に、中国とか中国人というものが、台湾を通してもっと明確にわかる。この記事読んでくれた人は、ぜひ、台湾を勉強してみてください。

って、ぼくはIoTとかサイバーセキュリティが専門なんだけど、こういうのも勉強していて、今も勉強している。楽しいよ。

 


日本の政治とは「勝者になるためのゲーム」。

Kishimojin Roard

私達のようなごく普通の日本に住む一般庶民はいまだに、

「政治家というのは主義主張があり、演説などでその主義主張を広め、票を集めて政治家になる。政治家はその主義主張に沿って政治をする」

と考えている。しかし、日本の政治家の世界は私達一般庶民が考えている以上に、このところ、急激に独自の変化を遂げている。つまり、

「政治家というのは主義主張があり、演説などでその主義主張を広め、票を集めて政治家になる。政治家は政治家になったら、その主義主張に沿った政治を捨てて、何でもその立場でできることをしてよい。過去の主張と現在の主張は変わってもよい」

に、何年前からか、変わったのだ。それが「正しい」とか「正しくない」とかではなく、現実として、政治家の世界はそういう世界に変わった。私達日本に暮らす庶民や、日本の法制度はこの「急激な変化」についていけなかったし、今もついていっていない。

もともと、「民主主義」「代議員方式-間接民主制」の基本には「政治家とは、主義主張を持ち、それを持って時系列的にも一貫した行動をする人」という定義があった。すなわち「言ったことの通りに行動する」であり、それができない人は「信頼」されない。従って人望も集まらず、それは具体的に「票が集まらない」=「言うこととやることに一貫性の無い人は政治家になれない」になるのが当たり前だった。

しかし、今日の日本の政治家の世界は、既にそういう世界ではない。「投票」というのは、政治家の主義主張と行動の一貫性に対して行われるものではなくなり、「かわいい」「強そう」などの、「人気投票」で選ばれた人が「代議員」になる世界なのである。奇しくも「AKB総選挙」なんていうのと似たようなものなのだ。「AKB総選挙」が「ファン人気投票」ではなく「選挙」という名前をつけたのは、それが現代の政治における「選挙」と同じものである、という認識によるものであって、その認識は正しい、と、私は思う。

従って現代日本という国家政府を含む社会では、「言行一致」は美徳とされず、「その時、その時に、すばしこく主義主張を変えてゲームの勝者となる」ことが「正しいこと」とされる。つまり「正しさ」とは「勝者になる」という目的のことであって、そこに至る手段は問わない、ということである。「政治」というゲームの目的、そしてルールの基本が短い間に劇的に変わったのだ。

であれば、私達日本に住む一般庶民は、政治家の世界の裏側に回って、「その人がどういう主義主張を持っていて、一貫した行動ができるかどうか?」を問うのではなく、「その人はどういう人で、今後当選したらどのように変わっていくか」を予想して、その変化したときの行動が自分の意に沿ったものになるかどうか?を考えて、投票行動を起こす必要がある。

最近は「民主主義は必要ない」という主張も、あちこちで聞くが、それには一理あるのだ。人間が創りだす「嘘(言行不一致)」が「絶対の悪」と認識されない社会においては、それまでの「民主主義」という「時系列的にも一貫した言行一致」を基礎としった常識も法制度も、全く無力なものになるのは、当然のことだからだ。「政界再編」とは、日本の社会においては、すなわち「民主主義制度-代議員による間接民主主義制度」というものが、「嘘の肯定(言行不一致の肯定)」によって国家政府に信頼を置く社会の、その崩壊の過程である。

私達が目の前にしているのは、日本という地域の国家社会の根幹を成していた「国家政府」そのものへの信頼と信任の崩壊そのものである、ということだ。

 


日本では「高齢者雇用」が日本再興の鍵

Kishimojin Road

日本では、この数年から先、60歳以上の高齢者が増えていく(かく言う私も60歳ちょうど)。加えて、これから高齢者はさらに増えていき、日本の景気の下降などの問題も重なり、年金なども従来通りに払われなくなる、などの状況が日に日に顕在化している。要するに、これからの日本では「60歳以上でも働く」のが当たり前にならざるを得ないのに、企業や役所の雇用などは全くその動きに対応がとれていない。

厚生労働省の雇用統計を見ても、組織が「高齢化」に合わない状況が見て取れる。日本の社会は既に20年前に、この状況になる準備をしていなければならなかった。しかし、準備が遅れており、対応する法整備もほとんどできていない。

日本の産業の衰退は、基本的に世界不況のためである。日本という地域に働くひとや政府の問題がそうしたのではない。しかし、この大きな世界的変化についていけなかった、という意味では、法整備は「失敗した」と言っていいのではないか?つまり時代の変化を感じることをせず「不作為」で、日本という地域の経済を衰退させた。しかしながら、これからの日本の産業は「高齢者が支える」ものでないと、全く意味がない。その原因は以下だ。

  1. 高度経済成長期という「豊かな時代」に培ったすべての「世界に冠たる日本の技術」は高齢者が持っている。現在の20歳代までの若年層では技術を継承するための環境も整っていない。これが継承されないのは、日本の国家財産の毀損である。
  2. 高齢者には年金の減額などの「働く動機」が非常に高いレベルで存在する。
  3. 20歳代-40歳代の若年層では「働く意欲」の減退などが、周辺環境によって見られる。

そして、日本という地域の産業復活を阻んでいるものは、この高齢者を働かせることができない環境があまりに多い、ということだ。

  1. 会社組織などの「定年」が60歳代、65歳に集中している。
    → とは言うものの、60歳くらいではまだまだ働くことができる人も少なくない。
  2. 高齢者は日本の景気の良かった時代を体験しており、労働の意識が現代に合わない。
    → 給料の金額の齟齬、労働時間の齟齬などはその一例である。
  3. 高齢者は身体的な衰えがあり、かつ、これからの生存寿命が短く、「投資」をする対象として好まれない。
    → 新規の仕事には「投資」がつきものだが、投資会社などは「高齢者への投資」を忌避している。

つまり、日本社会全体としては高齢労働者へのニーズはあり、それを活かしていかなければ日本の将来はない、と言っても良いのだが、それにもかかわらず、高齢者の「活用」が進んでいない、という現実がある。

そこで以下のことをご提案する。

  1. 働く体力と気力のある退職した高齢者への「再就職」への「再教育」に力を入れる。内容は以下だ。
    A. 高齢者の仕事の役割を限定し、時代に合った内容のみを若年層労働者に伝達する。
    B. 高齢者の仕事の役割を限定し、継続的な体力が必要な仕事を割り振らない。
    C. A,Bにともなって、高齢者の給与は低いものとせざるえをえず、その納得を得る。
    D. 現代にあった「後輩の教育方法」「生きていく態度」「企業側の雇用の条件」などを身につける。
    E. 「仕事はあるからもらうもの」という意識を捨て「新たな仕事を作っていかなければならない」という意識変革をする。
    F. 高齢者の苦手とするICT環境などの活用を教える。
  2. 法制度を変え、企業などで「高齢者雇用」をしやすくする。
    そのさい、「補助金」などは使わない。補助金ではなく、雇用した高齢者の給与の低減で対処する。
    現在の職業訓練校などに「高齢者再雇用教育」を入れ、以上のことを教える場を作る。
  3. 後継者の若年層への技術移転を意識し、積極的に行う制度を作る。

こういった施策こそが、現在日本を救う、と私は思っている。

 


盛り上がってきたLPWAと日本のIT業界のお話

Kishimojin / Ikebukuro / Tokyo

どこに行っても、LPWAの話が盛り上がってきていて、よく聞くようになったんだが、これでIoTの実験をしていろいろ作っていたのは、ぼくの場合は1年前のことになる。なかなかおもしろかったんだが、アマチュア無線で「ローパワー」を追求していたときの懐かしい感じが蘇ってきたね。まぁ、それはともかくとして、データ通信のためのLPWA(Low Power Wide Area)の通信方式とか、基盤のシステムにはいまやいくつも規格があって、その最初は「LoRa」と思われているんだが、それ以前にも、日本でも、あちでもこっちでも、けっこういろいろな通信の規格が乱立中、というのが正直なところだね。

で、いま、世の中にあふれているLPWAの記事を読むと、「LPWA」だの、「LoRa」だの、「SIGFOX」だの、というキーワードがそれぞれどういう立ち位置にあるのか?ってことがまるでわからないで書いてあるものがいっぱいある。表面だけ撫でているような、それで大丈夫だと思っている悪質ITライターの記事が山のように積もっていて、腐臭を放っている。

結果として、読者はまともな理解が得られず、用語とウソの概念ばかりが空中を飛び交っている。自分の手で作ればすぐにわかることが、自分で作らずに部下に任せる、なんていうことになって、さらにわけがわからなくなって時間だけが過ぎる。そういう人たちもまた山になるほどよく見てきた。

かつて、そう、1980年台くらいかだったかな?、ITの業界の雑誌とかで記事を書く人は、それなりに技術をわかっている人と、全くわかっていないなんとなくやっている人がごっちゃだったが、どちらもそれになりに食えていた。しかし、記事の中で製品をけなすこととか、不都合な真実なんてのは、ちょっと書くと、すぐにクビを切られた。結果として、中身はどうでもいいが、それがたとえ真実であったとしても、雑誌の広告のお金を出しているスポンサーに不利になるような記事を書くライターはいなくなった。それがIT業界のライター事情なんだな。自動車なんかでは「買ってはいけない」シリーズとか、そういうのがベストセラーになったが、ITの業界(1980年台くらいだとITという言葉はなかったけれども)では、「不都合な真実」を書く、実力あるライターは駆逐されてしまった。それが今だ。

そして、結果は、おそらくそれが原因の1つとなったと、私は思っているが、日本のIT業界は世界に冠たるダメ業界になってしまった。物事には、バランスというものがやはり必要で、「賞賛」もあれば「不都合な真実」もあって、それを嘘偽りなく、使う人とか投資家に知らせる、という重要な役目が置き去りにされてしまった。

最近で言えば、「ブロックチェーン」「人工知能」に同種の「危うさ」をぼくは禁じ得ないんだが、要するに「賞賛」」ばかりで「不都合な真実」がゼロってことはありえないわけで、良いことも悪いことも全部さらけ出して、世の中に入っていく、という、そういうものがないんだな。IT業界というのは、キーワードをこねくりまわしてラクして儲けられる業界ではなくなった。世界的にね。そして、そういう新しい世界についていけるIT事業者だけが、世界と渡り合って、生き残っていくだろうね。ごく少数だけね。現在のままならば。

なんて、当たり前のことを当たり前にしていく、ということがIT業界はできない場面が多くなってね。そりゃ衰退するわ、って思うわけですよ。

 


日本のコンビニは世界最高かもしれない

 

ついこの前まで韓国で2年間を大学教授として過ごしたが、そのときのご飯はけっこう自炊をした。どうしても疲れて自炊の気力がない、というときは、近くの飲食店に行くか、コンビニである。日本のコンビニは毎日のように新しいものが置いてあり、食べ物のバリエーションも多く、質も非常に高い。サンドイッチなどは日本のコンビニで買うとしっとり感がしっかりあって、美味しいが、韓国のコンビニや台湾などのコンビニでは、日系のコンビニではないチェーンなどは、パンがかさかさになっていたりして、あまり美味しくない、と感じる。おにぎりについては、日本も韓国もあまり変わらないが、とにかく種類は日本のほうがあるし、種類の入れ替わりも多く楽しめる。とはいうものの、炊いたごはん(Steamed Rice)を食べるのは世界中で日本と韓国だけだから、おにぎりはどちらも似たようなものだ。

韓国のコンビニは一年中ほぼ同じものが同じ場所に置いてある。だから、韓国でコンビニに行く前に、頭の中で「あの棚でこれを買って、こっちの棚でこれを買って、合計でこのくらいの値段だな」というのが、店に入る前からわかってしまう。それが良いことか悪いことかってのはもちろんどちらとも言えないわけだが、日本のコンビニには「遊びに行く」「珍しいものがある」「なんだかワクワク楽しい」という感覚があるが、韓国のコンビニではそういう感覚はない。

サンドイッチとかおにぎりは日本のコンビニのように置いてあって、ツナのサンドイッチやおにぎりがあるなど、品揃えは日本のコンビニに似ている。当然、弁当なんかもあるのだが、正直なところ、質は日本のコンビニのほうが高い。韓国にいたときは毎月日本に戻っていたわけだが、戻るたびに、近くのコンビニで「小さな感動」を味わうために店に入り、秋葉原にも通って「日本の匂い」を楽しんだものだ。

一方で、韓国のコンビニは個人商店がフランチャイズに入ってやっていることが多いわけだが(これは日本と同じだが)、毎朝行くとそこのレジのおじさんと懇意になる。そして、チョコレートを買うと、別のチョコレートをおまけにつけてくれたりする。日本のコンビニには優れたシステムがあるが、韓国のコンビニには「人情」がまだある。韓国の大手のコンビニチェーンに行くと、毎月レジの人が変わるのだが、いつだったかのレジのお兄さんは「日本人ですか?」と日本語で話しかけてくれて、「私も日本にいました!」と、親しげに話をしてくれる。おそらく、日本にいたときにコンビニのレジなどをバイトでやっていたのだろう、帰り際に大きな声の日本語で「ありがとうございましたっ!またのご来店をお待ちしておりますっ!」と言われたときには、調子が狂って、お店の出口にある数段の階段を踏み外しそうになった。

コンビニエンスストアは、米国発祥だが、日本で大いなる進化を遂げたことは確かだ。しかし、その日本のコンビニを追いかけた韓国、中国、台湾などのコンビニは、他の人の話を聞くのと、自分の体験から、現状は「まだまだ」という感じが、どうしてもする。

 



日本の「危機」の姿

この数年で日本人の価値観や働き方は急激に変わって来た。非正規労働の常態化、製造業の没落、一流と言われる大企業の存亡の危機の到来、日本が最高に良かった時代を知る人たちの高齢化、世界の中での日本という地域の立ち位置の変化。この変化は20年ほど前から始まっていたのだが、恵まれていたがゆえに気がつかなかった多くの大人は要するに頭が悪く、訓練もされていなかったため、この変化を受け止め新しい時代を築くことができなかった。

思い返してみればこの変化に気がつく人は少なく、この変化に対応できる頭の良い人はさらに少なかった。大多数は結局変化をなかったことにして見ることをやめた。その結果の衰退は当たり前といえば当たり前の結果である。かつてのローマ帝国もこうやって滅んでいったのだろう。地域やその政府やその地域にある人間の組織は病に侵されたように内部から腐っていくが、誰もその腐敗に立ち向かうことができず滅びの道をひた走る。自らの身を守ることばかりで自らの身を切って全体に奉仕して命をかけるノーブル・オブリージェが美徳である社会は地上からなくなった。日本もその一つらしい。それを知る老人の寿命もそろそろ尽きるだろう。

小さなことかもしれないが、道端にあるゴミを拾う。こんなことの積み重ねがほんとうは必要なのだ。そのゴミがあることで誰が不快になり、誰が困るのか?自分がその「困る人」だったら、どうしたらいいのか?そういう想像力がなぜ働かなくなったのか?

自らと自らの属する人間の社会の変化は常にある。その変化を感じ取ることの大切さを結局は誰も教えようとしない。人間社会とは他人への想像力を基盤に作られている。その想像力が働かないのだ。

これが本当に我々自身に訪れている危機そのものである。と、私は思っている。

 


大きなスマートフォンは日本ではあまり売れていないみたいだ

韓国にしばらくいたときも思ったのだが、韓国では画面の大きさが5.5インチを超える大きなスマートフォンが売れており、それは中国でもそうだ。とりあえず、アジアの国を中心に、大きな画面のスマートフォンが売れている。たしかに、大きなスマートフォンを使うと、それが「ステータス」のようになる。かつては、腕時計とかを見て、その人が経済的に豊かであるかどうかを見たものだが、今はスマートフォンである。そして、それは大きくて目立ち、明らかに値段の高いものであって、できれば品もあるものでないと、「ステータス」にはなかなかならない。

しかし、日本はだんだん変わっては来ているものの、まだ多くの人がどこかの企業に属するサラリーマンであった時代を引きずっており、「人生は目立たないように地味にやっていこう」という価値観がある。「目立つ」のは「品がない」と見られるのである。だから、スマートフォンも、よく見ると高そうではあるけれども、どちらかというと小さな目立たないものが好まれる。

これからは日本人もいやでも外国で仕事や勉強をすることが多くなるだろう。そんなとき、外国に出て行くことが多い日本人は気をつけたほうがいい。目立つことが必要なら、大きなガタイで高そうなiPhoneなんとかプラスを持っていくべきだし、逆に学生の節約旅行などで、強盗などに会いたくないのであれば、質素な目立たない服と、安そうなスマートフォンにしたほうがいい。

今は世界で日本・東京が世界で一番安全なところだろう、と私は思っているが、そういうところに生まれ育った日本人にとって、外国はどこも危ないところだらけだ、と言っていい。であれば、行く目的によって、自分をお金持ちに見せたり、貧乏に見せたりすることは安全上、ビジネス上、必要なことなのだ。今は20年以上前の世界とは違う。テロによる無差別な普通の街なかでのアクシデントも多い。空港は特に狙われやすい。常に安全を考えた行動が必要な時代なのだ。

学生の貧乏旅行なのに、高そうで大きなスマホを持ち歩くのは、強盗などに狙ってください、と言っているようなものだ。反対にビジネスで行くのに、貧相なスマホは持っていかないほうがいい。高そうで大きな目立つスマホを持っていって、ぜひビジネスを成功させていただきたい。

 


日本では人が減る。

P1000604日本では人が減る。これは、政府の人口統計からも明らかだ。結局、「景気がよくなる→人が増える」ではあるのだが、その逆の←はあり得ない。当然、景気が悪くなれば人が減る。日本という地域でいくら頑張っても、子供は増えない。まずは景気をよくする努力があって、はじめて子供が自然に増えていく。であれば、日本に住む私たちはどうするべきだろうか?

もちろん、日本の国外に出て生きる、という選択肢はある。とは言うものの、長年住み慣れた日本という場所を捨てて行くようなことがなかなか感情的に出来ない人は多い。特に、日本人のメンタリティとしてはもともとが農耕民族であって、加えて平和な時代が長く続いた。当然のことながら「土地」への執着は他の地域に住む人よりは多少多いだろう。

であれば、「少子高齢化」は当たり前に来る近未来であって、そのときになにが必要か?ということを考えることが必要なのだ。老人は増えるが、多少でも子供がいないわけではない。社会的な弱者である子供を守りながら、老人の生きる道を考える必要がある。

日本の戦後。それは、アジアで最初に大規模な経済発展を遂げた、という一言で表現できるだろう。結局、アジアの中でも「冷戦」が日本という地域を恵まれた地域にしたことは否定できない。そして、日本の経済の失速は資本主義の原理通りやってきた。上りがあれば下りがあるのだ。最後の花火は実態の伴わない「バブル経済」。それをあらかじめ予測して手を打って置くべきだったが、それはできなかった。さらに悪いことに、バブルの崩壊は日本人のメンタリティにも多大な影響を与えた。

日本が長い下り坂を下っているとき、興隆を始めたのが中国をはじめとする後進国だった。中国はそれまで「眠れる獅子」と言われていたのだが、その眠れる獅子が目を覚ました。冷戦の軛から開放された冷戦の最前線で戦後も諍いの最前線にいてなかなか国の経済に力を割けなかった「新興国」が、冷戦の終結でようやく日本の後を追う準備ができ、日本の後を追ってきた。既に現時点で日本は「アジアの一強」ではない。

韓国、台湾、シンガポール、香港、などなど、日本の後を追っていて、いまや世界で一番給与の高い地域はシンガポールである。

こんな時代の日本でのビジネスは、老人介護などのビジネスなどになるだろう。外国人を日本に呼び込み、新しい時代を作ることがやはり必要なのではないか。日本の国土はけっこう広い。人間が住むことができる地域も少ないとは言えない。しかし、そうは言っても日本はアジアでも地域的には北の端っこ、という見方によれば辺鄙な場所にある。冷戦というラッキーがなければ発展ができなかったところだ。かといって冷戦は戻ってこない。

「あの栄光をもう一度」は必然的に訪れることはない。経済の原則から言えば。同じ経済水準を維持できないのだから、それを前提に新しいビジネスを起こす必要がある。社会構造が変わっていくのだから、これは当然のことだ。

20年近く前、ぼくは同じ事を言っていた。いま、やっとそれがみんなわかってきた感じがある。そのときは相手にされなかったけどね。常に先を読んで準備をしていく、というそういう生き方と、目の前の変化に応じて臨機応変に自分の気持ちや考え方を切り替える柔軟なアタマが、変化の時代には必要である。

 


日本の戦後は「冷戦」が作った

pa022752【戦後日本は超貧乏だった】
物事にはなんでも両面ある、というところがあるんですよね。戦後日本、特に1950年までの5年間は、日本は非常に貧しく、餓死者も多く、それがために食料援助を必要としていた、貧しいところだったんですよ。で、最大の援助国であった日本よりもはるかに豊かな米国では、当然のことながら、米食の習慣そのものがなかったわけで、食料援助といえば、主なものは「パン食と牛乳」にならざるをえなかった。それは当たり前の援助だったし、日本人にそれが合うかどうかなんて考えるほど余裕はなかったわけですよね。

【だから食糧援助を必要としたけど、それは西欧的なものにならざるをえなかった】
だから、米国中心の占領軍であるGHQが日本に食料援助をする、ということになると、パンと牛乳、ってことにせざるを得なかった。日本人から米食を奪って云々、なんて話がネットではまことしやかに流れているんだけれども、当時の状況って、そんなにのんびりしたものじゃなかったと思うんですよね。

【それがなければあなたも生きていなかったかもしれない】
米国政府も日本政府も余裕がなかったわけね。そこに、米国の畜産業者とか小麦の生産者がハマっただけで、それを陰謀とかって言うのは、おそらくかなり違う。今とは日本の経済状況が全く違うんですよ。日本的であるかどうかなんて考えることができない。それくらい貧しかった。それが戦後すぐの日本ですよ。もしも援助物資のパンと牛乳がなかったら、いま「陰謀論」こいてる人たちのおじいさんたち、おばあさんたちは生きていなかったかもしれない。もしもそうだったなら、この記事を書いた人もこの世にいなかったかもしれない。そういうことなんですよね。

【想像力は大切だよ】
最近の40歳代以下の人は、あの当時、時間とともに社会状況がどのくらい激変したか、ということが見えていないし、想像もつかないから、それが理解できていないんでしょうね。想像力は物事の理解に必要だけど、なんでも陰謀論に持って行くのは想像力とは言えないなぁ。

【戦後の日本の歴史は1945年から始まった。高度経済成長はそれから5年後】
日本が戦後の高度経済成長時代を迎えるのは、1950年の朝鮮特需からなんだよね。このあたりから東西冷戦が始まり、資本主義体制側と共産主義体制側で世界が二分され、日本は冷戦の最前線ではなくそこから一歩引いた「前線に近い補給基地」になって繁栄した。それが高度経済成長期なんですよね。

同時に世界が第二次世界大戦の復興の時期に入り、朝鮮特需後も日本は輸出が大きく伸びたわけだな。

【その頃のトヨタ自動車って。。。】
敗戦が1945年。日本国憲法発布が1947年。その頃までは、日本は戦争こそ終わったものの、食うや食わずの時代だった。その頃はトヨタ自動車だって町工場みたいなもんだよ。リストラしてつぶれそうだったんだよ。その頃のトヨタ自動車の工場の写真を見せてもらったことがあるけど、みんな工員さんは溶接の機械なんかで暑い工場の中でふんどし一丁で溶接したりしてた。工場の床は土間ですよ。エアコンなんかなかったんだよ。

【日本を変えた「朝鮮戦争」】
そういう状況が一変したのが、1950年の朝鮮戦争。これで日本が戦争の物資の補給基地になってそこから繁栄が始まった。日本の戦後の繁栄は、つまり1950年から始まったんだな。

ぼくは、その高度経済成長期とともに大人になった時代。この記事を書いた人は生まれたときから高度経済成長が一段落した頃の人なんでしょうね。だから想像力が働かないんだろうね。まぁ、それは無理もなくて、日本では戦後の教育でそういうことを教えてこなかったからね。