なぜシンプルな本を出すのか?

【電子出版時代へのプロローグ】
AmazonのKDPでこの半年に4冊の本を出した。私は1980年代終わり、まだインターネットもなかった時代に、C言語の本を出させていただいた。今でもAmazonの中古では出ている。当時はインターネットはなかったから、電子出版そのものが影も形もなかった。本といえば「紙の本」のことだった。編集者は「XXが書ける人」を探していて、ぼくもその波に乗った。その「XX」は、当時、比較的新しい言語だった「C言語」だ。そして、いまでも「C言語」はまだあちこちで使われている、現役の言語だ。もう30年近く使われているのに、と、私は思うけれども、Webで良く使われるPHP、人工知能で使われることの多いPython、Cにオブジェクト志向を入れ拡張したC#やC++、などなど、最近のコンピュータ言語はC言語をルーツとしたもの、と言っても良いのだから、これは正常な進化なのだろう、と思う。

【懐かしき「紙の出版の時代」】
私のC言語の本は、最初アスキーから、次はオーム社から出たのだが、累計では100万部を超えた。「米国の大学の図書館に日本人留学生のための本ということで、置いてあったよ」とか「上海で海賊版が出てきたので、買ってきました」などもあれば、多くの友人の尽力もあって、韓国で「日本人が著者の最初の大学教科書」にもなった。嬉しい限りだ。

【インターネットがすべてを変えた】
しかし、インターネットが軽々と国境を超え、軽々と人の社会階層をも超え、職業も超え、という時代。出版も「紙の出版社はどこも儲からない」という時代になり、やがてレコードがCDに代わったように、本も紙の本から電子出版が主流になっていくだろう、とも感じるようになった。多くの友人知人がKindleなどの電子書籍端末を持ち歩き、アプリやWebでも電子書籍は読めるようになった。それは社会人のみならず大学生や高校生まで使う時代になった。

【電子出版のメリット】
なによりも、電子出版では「版元」「印刷所」を「中抜き」することによって、大幅な書籍のコストダウンが達成されている。当然だが、紙の本にのみ関わる人は仕事を失う。永遠に変わらないものはないのだから、流れを意識したら、流れを乗り換えないと生きて行けない。そういうことに不器用であることは、そのまま死を意味する。残念だが、そういう時代なのだ。以下に、私が体験した「紙の本」に対する「電子書籍」のメリットを掲げる。

  1. 書籍そのものを低価格にできる。(紙の本では数千円の本が数百円にできる)
  2. 脱稿から出版までの時間が短い。(現在のAmazonKDPでは約1日以内だった)
  3. 脱稿から出版までにかかるコストが低い(現在のAmazonKDPではゼロ)
  4. 著者印税率を高くできる。
  5. 少ページ数での低価格出版ができる。(通常の紙の本では200ページ以上が基準だが、現在のAmazonKDPでは数十ページからでOK)
  6. ネットの検索で多くひっかかり、衆目に素早くリーチする。
  7. 発行部数を気にしないで出版まで持っていける。
  8. 本屋での在庫切れなどを気にする必要がない。

【それでも思いは残る。紙の出版の時代】
紙の時代の出版は、「書籍」というのは、著者と編集者、編集者を支える出版社、取次店、そこに働く人、出版社の営業の人、などの「共同作業」だった。著者というのは、そういう人たちの中で生まれて育った。著者とは、そういう人たちを代表して表に名前の出る人のことだった。だから、そこに人間関係も生まれ、豊かな人間関係ができた。毎日、打ち合わせと称しては人と会って話をする。とにかく楽しい世界であっただけでなく、その所作の1つ1つが出版という事業のためであり、お金を生んでいた。一言で言えば「豊かな社会」の1つだった。いつだったか、出版社の営業の方に「三田さん、あの本、あちこちで営業させてもらいました」と、声をかけてくださったことがあった。その方をそれまで個人的に知っていたわけではなかったのだが、その言葉に感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのを、今でも思い出す。だから、私も紙の出版の時代に未練がないわけではない。でも、時代は変わった。

皮肉なことに、私の著書で「C言語」を勉強した人たちが、インターネットを作り、普及させ、インターネットが全てのそれまであった出版の秩序を壊した、とも言える。自分で自分の寄って立つところを壊したような、そういう感じもないではない。しかしながら、それは時代の流れの必然であって、自分がやらなければ、誰かがそうしただろう、ということでもある。いや「自分がそうした」などというたいそうなことではない。そういう場に私は呼ばれ、その役目を果たしたのだ。ただ、それだけだ。

【なぜ電子出版を?】
正直なところ、その営業の方の顔や、出版社の部長の顔、編集者の方の顔がちらつかなかったといえば、嘘になる。それまで関わってきた友人知人のみんなが、怒るだろう、悲しむこともあるだろう、とも思った。しかし、時代は変わり、人間社会の知の伝達ということでは、どうあがいても電子出版が主流の世の中にならざるを得ない、というところまで来たように、私には思える。この時代の流れの必然として、この半年に出した本は、電子出版のみにした。しかし、そうは言っても「紙の本」が死んだとは思わない。まだまだ、紙の本を愛する人やそれに慣れ親しんだ人は多く、電子出版を皮切りにしたけれども、同じものを紙の本にするのはやぶさかではないのだが。なにせ今は「過渡期」であって、完全に切り替わるにはまだ時間はかかる。

【紙の本のメリット】
紙の本にもまだメリットはある。

  1. それまでの社会が培ってきた「権威」がある。
  2. 読者の「モノを持つ」という「所有欲」を満たす。

つまり、紙の本のメリットは、これだけしかない、とも言える。しかし、コストは明らかにこのメリットに勝る、という時代が目の前に来ていると、私は思う。世代が変わると、それまでに培ってきた権威などは見向きもされなくなる。むしろ反発さえされることもあるだろう。さらに、「モノ」の「所有欲」そのものが全体的に減退している。レンタルなどが流行る。必要なときだけ、必要なものが目の前にあればいい。できるだけ安価で。そういう時代だ。

私は「前の世代」を知っている。その只中で仕事をしてきた。だから、次の世代への橋渡しの役目も負っている、と自分では思っている。いまここに、次の世代の変わり目を見せることに対しても、そこに意味を見出すのだ。

【電子出版されるものの性質はどうあるべきか?】
紙の本では「ページ数は200ページ以上」などの制約があって、著者としては、書きたいことの中身を語り尽くしてしまったあと、「まだページ数少ないんですけど」などと編集者からダメ出しされることがけっこうあった。著者としては、これ以上のテンションを物書きに費やすことはできなかったりして、適当なコラムなどを挿入したりしたが、そうなると、本そのもののテンションは低くなってしまう。しかし、電子出版では、書きたいことをしっかり書いたら、それで終わり、にできる。ページ数が少ないぶんは、価格を低くして調整できる。

また、ネットで本が検索され表示されるときには「表紙デザイン」「本の表題」が重要だ。本の内容がシンプルでわかりやすくできるのだから、「この本にはたくさん詰め込んでいます」というようなごちゃごちゃした表紙デザインで良いわけがない。だから、私の場合は本の表題をわかりやすくし、表題は長めだが、一気に読めるようにした。加えて、真っ白で余計なものを廃した表紙デザインにした。このほうが、ごちゃごちゃ凝ったデザインよりも「目立つ」のは明らかだ。キャッチーな表題は本の中身を表すのではなく「どういう人に読んでほしいか」「読んでほしい人がピンとくる表題か?」というところに、主題を置いた。表題のキャッチコピーのコピーライターや表紙などのデザイナーも「中抜き」の時代なのかも知れない。

電子書籍の時代。私はその流れを、いま、感じている。

こんな時代の電子出版の著者は、「書いてみんなに知らせたい」という強い意思と、「こういうことを書きたい」というテーマがより重要になる。「本を出すこと」に意味があるのではない。「何を書くか」にこそ、意味がある。そういう時代に変わった。