ITは「Fool Proof」を思い出せ。それが次世代のアプリを作る要になる

P9060473

最近のITは、どうも違った方向に行っている、とぼくは個人的に思っている。たとえばスマートフォンだが、スマートフォンは人類が初めて持った「肌身離さず持って動作している端末」である。各種センサーも揃っていて、良く知られている「カメラ」「GPS」のみならず、地磁気を利用して傾きとかを検出するセンサー、揺れを検出するセンサー、などなど、私達が普通知っている以上の多彩なセンサーを搭載している。しかも通信機能も必ずついている。「各種センサー」「通信機能」のほか、住所録のデータベースなども完備している。クラウドで背後には「人工知能」まで備えている。これでなにが不足なのか?というくらい、センサーなどの機能はこれでもかと言う種類が接続されているのが普通だ。

つまり携帯端末の「手足」になる部分は、間違いなく、現在考えられるほとんど完璧なものが揃っている。言い方を変えれば「スマートフォンは自分以上に自分を知っている存在」である、とも言える。

自分以上に自分を知っている「スマートフォン」は、なにかに似ている。深夜に飲み会から帰宅して爆睡しているぼくに、「仕事に行く時間でしょ!」と強引に起こしてくれる、見方を変えれば煩わしい「母親」。危険を事前に察知して、家族を大きく包んでくれている「父親」。人間関係で悩んでいるときに、場末の飲み屋街であれこれとアドバイスをくれる「友人」。スマートフォンとは「母親、父親、友人」になれる。そういう潜在的な能力を持っている。スマートフォンとはそういうものでもあって欲しい、とは思わないだろうか?それは「道具」ではない。人間のようなものだ。

今から20年以上前、人間の身の回りのことを機械にやらせる、ということが流行ったことがあった。これは米国から来た流れである。当時は「オートマトン」などの呼び名でそれは呼ばれていた。一方、今私達が普通に使っている腕時計、これはほとんど「防水」である。「防水」のことを英語では「Water Proof」という。そして、この「Proof」という単語を使って、「サルでも使える」ものを「Fool Proof」と言うのだ。この「Fool Proof」」は多くのところで私達の周囲に広がる気配を見せていた。

しかし、ある時点から「Fool proof」の文字が私達の前から消えた。コンピュータ、特に個人が使えるPCの出現あたりからだ。PCそのものがまだまだの性能であった時代、また、手軽で安価なセンサーも整っていなかった時代、コンピュータは高いお金を使って、金持ち企業が使うものだった。コンピュータやスマートフォンはそれを持つ能力や努力によって、はじめて役に立つものになる、というのが当たり前になった。たとえば、スマートフォンが起動すると、次にFacebookを起動する。Facebookが起動したら、今度はFacebookを使うために、Facebookの使い方を訓練しないといけない。なぜ、こんな便利なものが揃っている世の中になったのに、まだまだ「努力しろ」と、ぼくらは言われなければならないのか?

なにかおかしくないか?

たとえば、あなたが街中で一人、突然の病気で倒れたとしよう。周囲の人はもちろん気がつくだろうが、その周囲の人もいなかったら、どうしようもない。スマートフォンはこんなとき、あなたの身体の動きが全くないことを検知して「大丈夫ですか?」と語りかけてほしい。そこになんの反応もなければ、スマートフォンは自らの通信機能で、あなたになにかが起きたことを、警察や肉親、友人に、自らの持つ電話帳から電話などをしてほしい。だって、スマートフォンはそういうことができる「センサー」「通信機能」「CPU」をみんな持っている。できないわけがない。

そうは思わないだろうか?

今のスマートフォンのままでは、私達は永遠に新しいものが出る度に訓練を重ねていかなければならない。それが「利便性」なのだろうか?

これらの疑問から、私は韓国の大学の教授でいたとき、この2つのスライドをまとめた。

私が考える、これからのスマートフォンとは、こういうものであってほしい、という内容だ。

スマートフォンをショップで買うと、何の設定もなく、あとは胸のポケットにそれを入れておくだけで、必ず役に立つ。自分で成長してあなたを助ける。そういうもので、スマートフォンというのはありたい、と思うのだ。いま、ハードウエアのテクノロジーとしてのそれは準備万端である。あとはそういうソフトウエアを書くだけだ。

ぼくらは再び「Fool Proof」に戻らなければならない。それが人間を助ける存在としてのITのあるべき姿だろう、と、思うからだ。