2018年の正月は変化を感じる日々だった

なんだか、今年の正月はいつもと違った。変化が表面に出てきた感じがある。自分の年齢もあることはある、とは思うのだが、それ以上に世の中が動き始めている、そういう感じがある。

まず、「正月の帰省」ということをする人が非常に少なくなった、という感じがある。このままいくと「帰省ラッシュ」なんてのはなくなる可能性がある。

次に、これは昨年からだが、これまで大丈夫だと思っていた生活のインフラ、公共交通機関がやたらと止まっていた。

年賀状は昨年からやめて、でも、いただく年賀状には返信を出した。そうして驚いたのは、近所の郵便ポストがあるべきところにない。仕方なく、コンビニの郵便受けに返信の年賀状を入れた。

自分も含めてだが、なにもかもが変わっていく、そういうものを感じざるを得ない。

今日が仕事はじめ、という人は多い。昨日から仕事の人も多い。正月は仕事だった、という人も多い。いや、自分もそうだったけれども。

 


正月は4次元の寂しさ

子供の頃から、毎年の年末年始は今ひとつ好きになれなかった。いつもの街の活気が大晦日に最高潮となって、正月開けて7日くらいまで助走期間みたいにだらだらと新しい年の最初の日々が始まる。

気がつけば、正月3が日はなにもかも休んでいて、その数日だけ、東京都心もゴーストタウンになる。誰もいない。やがて戻ってくるであろう喧騒が、永遠に戻らないものであるかのような、そういう錯覚を起こしたら、もう気持ちはパニックに近い。「みんなどこへいったのだ?」「ぼくはなんのために生きているのか?」そんな気持ちが沸き起こる。「この先、社会を失った自分はどうなるのか?」そういう不安も覆いかぶさる。人混みが恋しく、喉の渇きを覚える。やがて返ってくるであろう喧騒のときを信じられない自分がいる。まるで世界核戦争の後の廃墟ばかりの世界に一人降り立ったような、そういう底の深い虚しさを感じるのだ。

正月とはぼくにとってそういうときだった。だから、ぼくは正月が嫌いだ。今日と同じ明日が、明日にはやってくる。そういうことを無邪気に信じられる人たちがとてもうらやましかった。

このテンションの弛緩を楽しむ、という人も多いのだろうが、ぼくは一年中突っ走っていたいほうなので、この弛緩が好きではない。しかもクソ忙しくなる時期に年賀状を書く。正直なところ、このSNSやインターネットの時代に年賀状なんて必要ないと思い、昨年は一気にやめた。

多くの人は「生きている寂しさ」を社会を構成している自分のまわりに他人がいないことで感じ、他人と一緒にいることでそれを癒やすだろう。ぼくは「生きている寂しさ」を「時間」で感じている。そういう違いはきっとあるんだろう。ぼくはこれを「4次元の寂しさ」と呼んでいる。

周囲には亡くなる方も多く、いただいた喪中のはがきを横に置いて、年賀状を書くという行為そのものが、なんだか悲しみを増す行為にさえ思えてきた。しかし、「生き残る」ということはおそらく、その寂しさに耐えて生きることなんだろう。いや、生きるとはおそらく、確実にそういうものだ。

時代は移り変わっていく。その移り変わりには、そうあってほしい、というものもあれば、それはいやだ、というものもある。しかし、一人ひとりのそういう「希望」とは全く別のところで、時代は変わる。

年末年始とは、私にとって、そういうことを感じる時期なんだろうね。もう一歩上に自らを置いてみて、今年は年末年始の変わりようを生きてみたい、と、そう思うのだ。

 


「ハロウィンはやめよう」「クリスマスはやめよう」「バレンタインデーはやめよう」ついでに「正月もやめよう」ってのはどうかね?

ea101205最近の日本のネット言論界(と呼べるほどのものがあれば、だが)では、迫り来るハロウィンの時期に関して「ハロウィンはやめよう」という話がいっぱい出てきているが、同じようなのは昔から「キリスト教徒でもないのにクリスマスはやめよう」とか「もてない人間のためにバレンタインデーはやめよう」ってのは、まぁ、いっぱい出てきている。一方で「正月はやめよう」とかって話はない。しかし日本の「正月」なんてのはそもそも新暦であって、本来であれば旧暦で行われるべきものであって、現在の日本の正月なんてものがそもそも邪道なのである。日本を離れればどこでも新暦の正月を日本みたいにたくさん休みを取ってやっているところはどこにもない。グローバルスタンダードからすれば(←いや、それがキライって人もいるんでしょうが)、日本の正月なんてのは異常なんですよね。

だいたい、日本では現在使われている太陽暦が本来のものではなく、太古の時代は漢歴の太陰暦みたいなものが本来のもので、日本の伝統を遡ると古来の正式な暦は、漢暦・太陰暦なのだ。あるいは、江戸時代に変更された日本独自の「和暦(太陰太陽暦)」に変更するのが、日本古来の伝統にあったものだろう。現在私たちが使っている太陽暦は、明治6年というごく新しい時期に、西欧の暦を真似て導入した、という程度のものに過ぎない。

それはともかく、ハロウィンのときに渋谷で若者が集まる、なんてのは「禁止」になったらしいし、いまの若い人はつまらないだろうなぁ、飲んで騒いで群れるところもないわけでね。若い人間は飲んで騒いで群れるのが楽しいんですよ。そういう場を「危ないから」って取り上げるんだったら、村の祭りだって同じようなものなんで、みんなやめればいいんだよね。正月もついでにやめるといいと思うよ。日本古来の伝統を持つものでもないし、なにかと休みは危ないからね。