「キュレーション」は終わった

例のDeNAの騒ぎの炎上はまだまだ続いている。ネット上では主にネットメディア評論をしているような人たちには、「もうキュレーションは終わりだ」というように聞こえる声もチラホラ。要するに「キュレーション」という「なにごとかをしてやっているんだ」みたいな、上から目線も見えちゃうようなそういう姿勢そのものが、批判の対象になっているんだろうな、と、私は感じる。「批判」というよりも「おまえは何様のつもりか」という怒りにも聞こえる。批判であろうがなんであろうが、それが感情的な「怒り」を呼ぶものであれば、その対象はこの世から消えていくしかないだろう。そういう意味ではDeNAという会社はその最初の象徴に過ぎない。その証拠に、あちこちの「キュレーションメディア」と呼ばれるネット上のサイトもあちこちが見えなくなっていたり、記事がなくなっていたりする。要するに「旬」を過ぎたのだ。

キュレーションというのは「Curator(図書館長)」という言葉から、「キュレーション」と言う言葉になり、「ネットにある雑多な情報をまとめる」みたいな意味にされてきたものだが、日本語では「まとめサイト」なんて書かれることも多かった。しかし、いかにもまとめているようで、実はネットに転がっている情報の羅列とか(いや、羅列なら羅列と言ってくれればそれはそれで役に立つこともないではないが)、あるいは不正確な情報の寄せ集めだったり、その、なんというか、いい加減な記事が多いのは、なんだかなー、困ったもんだなー、という感じだった。

日本のネットにおける「キュレーション」の最盛期はおそらく「STAP細胞騒ぎ」のあたりだったんじゃないかと私は思っている。今から見れば、なんと専門家でもなんでもない人がああいう専門的なことをあーでもない、こーでもない、と「解説」していて、今見れば「馬鹿馬鹿しい陰謀論」もいっぱいあって、ぼくは辟易していたんだな。なにせ「STAP細胞はあるんですか?ないんですか?」「小保方さんは嘘つきなんですか?本当のことを言ってるんですか?」みたいな、単純な二元論ですべてを判断しようとする、その科学的でもなんでもない物事に対する姿勢で、なんでも一刀両断にして「すげーだろ」ってやってた本物のバカの多かったことが、とにかく日本の大衆のレベルを100mくらい下げたような、そんな感じがするんだよね。ちなみに、グランドキャニオンの標高差って800mくらいあるらしいんだけどね。

それはともかく、科学ですからね。今日正しいと思われていたことが、数十年先に「やっぱ間違いだったわ」なんて否定されるのは、当たり前にあるわけで、ましてや小保方さん一人でそれを研究していたわけでもないわけで、専門でもなんでもない人が、ブログなんかであーでもない、こーでもない、で辻褄が合わなくなる=理解できなくなると、わかりやすく見えるようにするために「陰謀論」やるわけでね。ちったぁ、研究、ってものをやってみなよ、って、ぼくみたいな研究者の端くれは言いたいわけなんだが、そういうことをまともにやろう、っていう「キュレーター」はどこにもいなかったしね。

要するにネット上のいい加減な情報をいい加減な知性(それを知性と言うのであれば、だが)でまとめて「売り物」にして稼ぐ、という、「6尺の大イタチ」みたいな商売が「キュレーション」だったわけでさ、そりゃ、遠からず終わるわなぁ、という感じだ。

もう一度言おう。DeNAという企業が終わったんじゃない。キューレーションが終わったんですね。

 


戦前も戦後も終わった世界

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「日本の戦後民主主義は破綻している」と言われることがあるが、流石にそれが民主主義ではなくとも、疲弊し、飽きられることは、ある意味当たり前のことだろう。日本だけでなく、多くの国で世界的な経済の力は弱くなっており、日本はその一部である、というに過ぎない。「強い政府」を求めている、その流れは、なにも日本だけではなく、世界的なものだ。それは現実的に私達の収入が減り、生活が苦しくなっている、という現実から来るものだ。

しかしながら「パックス・アメリカーナ」を誇った北米地域は既に疲弊の極みにあり、世界経済を下支えした「世界の工場」であった大陸中国も「眠れる獅子」の次の時代である「覚醒した獅子」の時代も既に通り過ぎつつあり、いま、世界は膨れ上がった消費と赤字に苦しみ、そこから抜け出せない。資本主義というものそのものが終焉のときを目の前にしているのだろう。日本経済のそれは、そういう世界の一風景にしかすぎない。

思えば、植民地主義の時代は「国家政府」という究極の大企業どうしの競争の時代であった。コストのかかる大量の武器と人を使って、植民地の陣取りを行ったが、それはそのコストに見合うだけの収穫が得られる可能性が高かったからであって、それ以上の意味はない。

現代という時代は、その「国家政府」がすべて疲弊しており、そんなことは信じたくはないが、それでも現実はそうでしかない、という時代になったのだ、ということだ。多大なコストをかけて植民地を作ったところでその果実は少なく、なによりもその多大なコストの負担に国家政府は耐えられなくなってきている。世界最大の軍を持つ米国でさえ、世界のあちこちで「撤退」を初めており、その理由は主に経済的なものだ。

これからの時代、人類が生き抜いていくために必要なのは、低コストで生き抜く知恵であって、高コストのために多大な富を得ることではないだろう。

世界的に「上向き」の時代は終わった。これからは「下を向いて歩く」時代に入ったのだ。

戦前という神話でもなく、戦後というノスタルジーでもない、全く違う世界が私達の前に広がっている。今までの経験はそのほとんどが通用しないだろう。


韓流ブームは終わったが

日本人で韓国に行く観光客は激減中だが、逆に韓国から日本に観光に来る客は絶賛増加中で、このところ毎年その数は増加している。ちなみに、過去最高を更新中だ。昨日も韓国から東京・成田便に乗ったのだが、なんと韓国人旅行客で満席。あきらかに休暇の始まった親子連れは非常に多かった。いや、驚きました。

この「反対の動き」については、このニュースは全然伝えていないんですね。

しかも、この半年で円ーウォンのレートは、20%くらい落ちていて、いま、半年前には10万ウォンは1万円だったけど、今は10万ウォンは8千円くらいにしかならない。つまり韓国の人が日本に来るときのお金は日本では2割も目減りすることになる。それでも、韓国から日本に観光などに来る人は過去最高なんですね。

ついでに言うなら、韓国で韓国のテレビニュースを見ていると、ことさら「反日」のニュースを強調してやっているわけではない。「日本は憎むべき国だ」みたいな、そういうプロパガンダも無い。当たり前なことを、当たり前に報道しているだけで、日本人の自分が見ても「これはひどい」という表現はない。「政府はこういうことを日本の政府に言いました」という感じで、客観報道そのもの。

韓国は日本よりも民主的な制度が整っていて、それを調べたら驚くくらい。日本は民主主義ということでははるかに遅れている感じもする。具体的な例はいくつもあげられるが、ネットと選挙に関することは、この記事が詳しい。日本はこれから民主主義を韓国から学ぶことになるのかも知れない。

日本で日本語の報道で見ることや、ネットの日本語の韓国情報を見ているのと、日本人の自分が、実際に韓国に行って暮らしてみるのとでは、「これは全然違うよね」という情報があまりに多い。これを見ても、日本の報道は信用できないな、と思う。

猪瀬さん、オリンピックで騒いだ時代は終わったんだよ

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猪瀬東京都知事の「失言」問題は、彼に国際感覚が欠如していたのが表に出ちゃった、という感じだ。

また、twitterで見るネトウヨとかの「NYTは反日で朝日と親しい」みたいなのは、日本しか見ていない国際感覚欠如の極みみたいなもんで、説得力はまるでない。決めつけだけで自分でいろいろ調べている様子もない。

そちらはあまり影響は無いから良いとして、猪瀬知事の「失言」は、結局言い訳が二転三転した上、最後に「謝罪」で落ち着いた。失言発生から2日たっているのは、この時代にしては遅い対応と言わなければならない。スピードがない、ということだけが大きな問題ではなかったか。間違いは誰にでもあるものだ。

個人的には、東京にオリンピックって必要ない、という立場なので、猪瀬氏の言うように、オリンピック期間中はおとなしく引きこもってネットでもやっていようかと思っている。この前のロンドンオリンピックも結局見ようとも思わなかったし、見る時間もなかったし。まぁ、もともとあまりオリンピックってものに興味がないんですね。

と、言うのが自分だけかと思っていたら、案外多くの人が世界的に「オリンピックなんてどうでもいいんじゃない?」という人が多いのですね。コレはネットで同じことを言っている人がすごく多かったので驚いた。それだけ「国」とかのまとまりが、みんななくなってきているんだと思う。実際、ロンドンオリンピックの会場は閑古鳥だったらしいし、それは時代の流れというものだ。

現代は安価なインターネットとかの情報ネットワーク、安価な物流、安価な移動ができる時代になって、国境がそんなに意識される時代でもない。こういう時代には、「国」の存在感は薄れてきて、まるで国どうしの意地の張り合いみたいだったオリンピックなんてどうでもいい、という人が増えるのは当たり前だなぁ、と思う。

猪瀬さん、そんなに力をいれなくても、大丈夫。みんなそんなに気にしてないから。