「ガラパゴス化」は経済成長の結果

よく、日本ローカルなもので世界的な競争力を失った商品とか会社について「ガラパゴス化」という言葉が使われている。たとえば、かつてのフューチャーホンと呼ばれる携帯電話などはその筆頭として挙げられることが多い。今や携帯電話のユーザーは世界的に減っていて、AppleのiPhoneで始まった「スマートフォン」の時代になり、国産の携帯端末メーカーは日本国内からさえ、姿を消しそうな情勢だ。

私はアジアの国にも米国にも20年以上前からよく行っていたし、今も行く。そこで見るのは、日本、特に東京がいかに経済的に豊かな地域か、ということだ。建物の普請、路上の敷石、街のきれいさなどは、やはり東京が一番だと思うし、各国の料理がほとんどそのまま食べられるのも、東京ならではだ。

しかし、「ガラパゴス化」、言い換えれば日本の市場の特殊性というのはいかに作られたかというと、それはおそらく日本という国がこれまで非常に豊かだったからだ。1945年に戦争が終わったときには、戦争に行くことが良い行いとされ、日本は絶対に負けない、とさんざん煽られた国民は、その見るも無残な敗北に虚脱状態だった。1947年に「もう戦争はしません」という有名な「第9条」を含む日本国憲法ができても、戦争で破壊し尽くされた経済が良くなるわけもなかった。しかし、1950年に朝鮮戦争が始まると、日本の主要な産業は「隣の戦争経済」に湧いた。トヨタ自動車をはじめとした自動車メーカーのみならず、家電、衣服、食料などの大増産が始まった。しかも、「戦場」は海一つ隔てた隣。戦火は直接には日本に降り注ぐことはなかった。

この「朝鮮特需」が起爆剤となって、戦後の日本の経済は息をし始めた。早くも、1945年から11年後の1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」という言葉が踊った。東西冷戦の間で、日本は「西側陣営として、前線に近いが、前線ではない」という特殊な場所で、「カントリー・リスク」が無いため、前線に送るモノを供給する生産基地となった。加えて、米国・欧州の戦後復興「黄金の60年代」が、日本の経済の成長をさらに加速した。

1979年には米国で「Japan as No.1」という本が出版され、日本の高度経済成長の原動力となった企業文化が讃えられるほどになった。この本で書かれている「すばらしい日本企業文化」がどれほどのものだったのか?というのは、今の日本の企業の惨状を見るに、それがゴマスリ以外の何者でもない、というのはもはや公知の事実だ。「高度経済成長に支えられた企業文化」であって、「企業文化が素晴らしかったから高度経済成長があった」というものではなかった、因果関係が逆だった。

その経済成長のときの「幻想」が日本人に刷り込まれ、日本の企業の作るものはなんでもかんでもすばらしい、ということになってしまったのは記憶に新しいが、こういった「うぬぼれ」が油断を生むのは昔からよく知られたことだ。今でも、そのときの幻想をあちこちで見ることができる。やがて日本のお家芸と言われた「半導体」も「液晶ディスプレイ」も、日本の企業がリードするものではなくなった。まるで太平洋戦争のときの日本軍のような感じだが、日本人はマスコミに日本の国の中でだけ通用する「大本営発表」を、日本の経済関係の新聞などからさんざん聞かされ、洗脳され、その幻想の中で敗戦を経験している、というのが今だ。

日本に限らないが「ガラパゴス化」は、結局のところ、そうやって起きるものだ。日本の高度経済成長、そしてそれに伴って喧伝された「すばらしい日本企業文化」が、どれもこれもガラガラと崩れるのを目の前で見ている私たちは、あの1945年の敗戦を次の世代で経験しているに過ぎない。

「ガラパゴス化」とはつまり「大本営発表」に翻弄され、その自覚さえなく、自惚れの中での勝利幻想だけを植え付けられ、結局は国敗れて山河しか残らなくなった、1945年の日本の再来を示すキーワードの1つだ。