Faceを思わず見てしまうこと

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Facebookを見ていると、まさに「Face」ばかりの記念写真がすごく多い。ぼくは自分を撮るとか、撮られるのがあまり好きじゃないので、そしてそれを公開されるのも好きではないので、顔をあまり出さない。まぁ、他の人と一緒に撮られるのはしょうがないな、とあきらめているけどね。

でも、自分の顔の写真を自分で見るのとか、偉い人と一緒にいるところの写真とか、って好きな人多いよね。「オレはこんな偉い人と一緒なんだぞ」みたいなね。ぼくが一番嫌いなのがそういう写真なのね。虎の威を借るというかなんというか、自分を実力以上に見せたい、っていうところ、別の方面から言えば、自分に自信が無い人がやることだよな、それは、と思うわけですよ。大人になってそれやってるのって、すごい恥ずかしいことだよね。と、ぼくは思うから、やらないのね。

ついでに言えば、食べ物の写真、宴会の集合写真、ってもう見飽きたよね。そういうのは見ないでさっさとスルー。おれはこんないいもん食ってるんだぜ、みたいなのって、その人の卑しさみたいなのがにじみ出ていて、僕としては「あぁ、この人の醜いところを見ちゃったなぁ、ごめんな」という感じになっちゃうのね。ましてやそれを自分で出す、ってのは、そういう神経が信じられない。毎日の自分のための記録でいいんじゃないのかねぇ、そういうものは他人に見せるもんじゃないよ、と思うわけです。そういうものを他人に見せているとき、本当に他人に見えるのは、普通は、その映像そのものじゃなくて、それを見せたい、というその人の心根なのね。なんのためにそういうことをあんたはしているのか、っていう、そこを見られているのね。

で、そうじゃない食事の写真とか、ってのもある。でもそれは映像を専門にしてきた人が自分の生き様の一部として、言い換えれば作品の一部として見せているものとか、その連続が不思議と芸術というものに対するその人の考え方なんかを表現するものになっているとか、そういうものもあるのね。素人がこんないいもん食べたから見て!というのと、それは全く違うんですよ。自分の生き様、自分の命をかけた表現の、それは一部なのね。自分のいのちの記録が、自分の表現が、そこには込められているのね。それが見えるから、それが普通の食事の写真の連続であっても、共感がそこにできるの。そういうものなんだよ。

Face(book)を見ると、一発でその人がわかる。その写真の撮り方やどの写真を見せるか、という選択、そういうところに、その人の人間性がにじみ出てくるのね。ぼくの好き嫌いで言えば、だけど、自分という人間に自信が持てない人の自撮りと、自分というものに自信のある人のそれは、ぜんぜん違う写真表現なんですよね。で、ぼくはやっぱり自分に自信を持っている人が好きなのね。