ダムの仕事をした話

060811_084343その昔、ぼくが駆け出しのシステム屋だった時代、インターネットはまだなかった。当時の国土交通省の仕事で、ぼくらは山形の雪深いところのダムに入れるコンピュータシステムを作っていた。工作機械も多く、電気ノイズも半端ではなく、ぼくらがメインのコンピュータにしたNECのPC-9801(最初のやつだったから、後ろの型番はナシ)と、暗いトンネルの中のある機械の間を通信でつながなければならず、当時はまだ発売されたばかりの光ファイバーを通信に使った。しかも数台その工作機械があるから、自分たちでプロトコルを作って、LANを組み、PC-9801のいわゆるCバスの通信ボードを作り、そのハードウエアはぼくが設計してプリントパターンも書いた。当時はまだTCP/IPがなかった。光LANのシステムだったのだ。今から30年以上も前のことだ。

そのCバスの通信ボードは、PC-9801のメインメモリ空間の一部を共有メモリとして動き、ボード上にある通信専用のCPUには、Intelの8748を使った。Erasable/WritableのP-ROMがくっついているCPUで、同じCPUを工作機械側の小さなコンピュータボードにも使った。

人間の背丈の数倍ある深い雪の中。正月1月1日・元日・その日に、設置したシステムのトラブルを調べに行ったことがあった。あまりに雪が深すぎて仕事場近くのスキーロッジは閉まっていたんだが、無理をして開けてもらって、そこに泊まった。そこしか泊まるところがなかったのだ。ロッジに取引先の人のスノータイヤを履いた三菱パジェロで連れていってもらって、除雪されている道はともかく、その道から10mばかりのロッジの玄関まで、かんじきを履いて行った。道端には深い積雪の中に埋もれた電話ボックスがあった。

夜中にロッジに着いたのだが、その道すがら、真っ白い雪の中の除雪された道路のクルマの前を真っ白いうさぎが横切った。夜の真っ白い世界の中でヘッドライトの前を横切る真っ白いうさぎの姿は幻想的でさえあった。

当時のインターネット以前の「システム屋」は、こういった思い出がいくつもあるんじゃないだろうか?

そして、その仕事も終わりに近くなったとき、突然アタマを背後から殴られたようなショックを受けた出来事があった。

そのダムはコンクリートで作る「アーチ型ダム」ではなく、山を積み上げて水を止める「ロックフィルダム」だったのだが、その山を作る予定のその場所の真っ平らな岩盤の上で、たくさんの人達が座ってなにか仕事をしている。ぼくらはそれを、作業が一望できる高い事務所があるところから見ていた。

「あれ、なにしてるんですか?」

ぼくが下を指差して聞いたら、現場のおじさんはこう言った。

「石を拾ってます」

要するに、これから水をせき止める山をそこに築くわけだが、そのとき、「水も漏らさぬ」山にしなければいけないため、粗い石、細かい石、と、計画的に積み上げていく。そのとき、人口的に築く山の下に、計画とは違う大きさの石があると、岩盤の割れ目から水が漏れたりするので、まずは山を築く前に、その底部にころがっている石を取り除く、という作業が必要なのだそうだ。

ショックだった。ぼくらコンピュータの仕事というのは、基本的に一人でやる仕事。一人が一日、ここまで仕事が進んで、明日は、ここまでやって、と計画をする。それをみんながやる。今日一日の仕事は自分のものだ。しかし、この工事現場では「石を拾う」という、ある意味えらく単純な仕事があって、それは一人の人間が一日がんばっても、全然進まない仕事なのだ。だから、大勢の人が一斉に少しずつやって、やっと全体がなんとかなる。そういう仕事が世の中にはあるのだ、ということに、その当時のぼくはえらくショックを受けた。未だにトラウマである。

それまで、光ファイバーがどうしたとか、それが世界でも稀な実用例であったとか、後で考えて見ればLAN作っちゃったんだよな、とか、そういう世界とはまるで違う世界が目の前にあった。一人の人間が一日頑張っても1mmも進まない仕事ってものが、この世にはあるんだ、ってことだ。

夜中の真っ白い世界のヘッドライトの前を横切るうさぎのこの世のものとは思えない静寂と美しさ。それとともに、ぼくの脳裏には当時の「石を拾う人」の姿が、いまだに、目に焼き付いて離れない。

 


「50歳代のCAが…」って話。

球場

球場

いま、というか数年前からFacebookで流行っている文章がある(全く、あくびが出ちゃうよな。この前もまた知らずにシェアしているアホを発見したよ)。元は英文だが、日本文もある。さらに最近は下手なドラマ仕立ての動画版もあるようで、全くアホもここまで来ると国宝ものである。しかも伝言ゲームのようになっていて、翻訳の途中で落とした情報もあったりして、なかなか興味深い。人種差別を扱った良い話、と言われているが、どこかおかしい。

まず、英文の全文を読んでみる。

英文:

This happened on TAM airlines.

A 50-something year old white woman arrived at her seat and saw that the passenger next to her was a black man. Visibly furious, she called the air hostess.

“What’s the problem, ma?” the hostess asked her

“Can’t you see?” the lady said – “I was given a seat next to a black man. I can’t seat here next to him. You have to change my seat”

– “Please, calm down, ma” – said the hostess

“Unfortunately, all the seats are occupied, but I’m still going to check if we have any.”

The hostess left and returned some minutes later.

“Madam, as I told you, there isn’t any empty seat in this class- economy class.

But I spoke to the captain and he confirmed that there isn’t any empty seats in the economy class. We only have seats in the first class.”

And before the woman said anything, the hostess continued

“Look, it is unusual for our company to allow a passenger from the economy class change to the first class.

However, given the circumstances, the commandant thinks that it would be a scandal to make a passenger travel sat next to an unpleasant person.”

And turning to the black man, the hostess said:

“Which means, Sir, if you would be so nice to pack your handbag, we have reserved you a seat in the first class…”

日本文:

【人種差別・意訳 ENGLISH/JAPANESE】実際にあった話

50代とおぼしき妙齢の白人女性が機内で席につくと彼女は自分の隣が黒人男性であるという事に気がついた

周囲にもわかる程に激怒した彼女はアテンダントを呼んだ

アテンダントが「どうなさいましたか?」と訊くと

「分からないの?」とその白人女性は言った
「隣が黒人なのよ。彼の隣になんか座ってられないわ。席を替えて頂戴」

「お客様。落ち着いていただけますか」とアテンダント
「当便はあいにく満席でございますが
今一度、空席があるかどうか、私調べて参ります」

そう言って去ったアテンダントは、数分後に戻って来てこう言った
「お客様、先ほど申し上げましたように、
こちらのエコノミークラスは満席でございました。
ただ、機長に確認したところファーストクラスには空席があるとのことでございます」

そして、女性客が何か言おうとする前に、アテンダントは次のように続けた

「ファーストクラスに席を替えるという事は通常行っておりませんしかしながら、或るお客様が不愉快なお客様の隣に座って道中を過ごさざるをえない、という事は 当社にとって恥ずべき事となると判断いたしますので当然事情は変わって参ります」

そして黒人男性に向かってアテンダントはこう言った
「ということで、お客様、もしおさしつかえなければお手荷物をまとめていただけませんでしょうか?ファーストクラスのお席へご案内します」

近くの乗客が、歓声をあげるのをその白人女性は呆然と眺めるだけであった
スタンディングオベーションを送る者もいた

で、これは英文ではTAM-Airlinesというブラジルの航空会社で起きたこと、とされているところが多い。しかし、日本文で出回っているものは、どれも航空会社の名前がない。

日本人の感覚で「人種差別」のことを言うのは、実はかなり「違う」。たとえば、米国では人種差別は完全に法律違反でアウト。レストランなど、被差別者からの告発で簡単に潰れてしまう。

LAの某所のSTARBUCKSで長い列に並んでいたとき、ぼくら日本人の数人のグループが、会話の中でちょっとだけ「Racial discrimination(人種差別)」という単語が出た。それを店の人が聞きつけ、店長と思しき人が、あわててすっ飛んできて、咄嗟に「どうぞ、どうぞ、列の前のほうに行ってください」なんてこともあった。人種差別の告発一つで店長のクビが飛ぶからだ。

だから、この話は「いい話」なんかじゃなくて、CAとか機長とかのクビがどうなるか、という話であったりしないだろうか?。そのまま日本人の感性で読んではいけない話ではないのか?。

また、ファーストクラスが、なんて言うが、ぼくも米国の国内線をたくさん使ったが、ダブルブッキングで席がない、なんて当たり前に起こる米国の国内線では、席がないからファーストクラスへ、なんてことは当たり前にある。「ファーストクラス」の席、なんてのは、そんなにたいしたことではない。TAM Airがそうであるかどうかは知らないが、First Classの席が、Economyの席とそんなに変わらない、というところも多くある。

これは、私の想像だけれども、こういったシチュエーションの場合、航空会社、あるいはCAに対して、乗客が苦情を言ったり、訴えたりする可能性ないとはいえない。CAの立場としては、黒人から訴えられる場合と、白人から訴えられる場合のリスクを天秤にかければ、この場合は、黒人をファーストクラスに移したほうが、従業員や航空会社にとって有利になる。おそらく、CAはそういう判断をしたのだと、私は思う。人種差別の問題がどうしたこうした、という問題もさることながら、このCAはやはりとっさにそういうリスクを判断し、天秤にかけ、機転のきいた判断をした、と、想像する。

米国に半年だけでも、日本人が住んでみるといい。そういう人種差別にはどこでも出会う代わりに、白人は「人種差別をされた」という告発をどれだけ恐れているかを見ることもできるからだ。

 

火を吹くUSB充電器の話

Cluster Amalilis

Cluster Amalilis

私の知っている人、数人が「USB充電器が火花を散らして壊れた」あるいは「パチッと音がして壊れた、という被害に会った。ある人は、USBの充電ポートが4つあるUSB充電器に、iPadを4つつけて充電したところ、充電器が壊れたそうだ。電気のことを勉強したことがない人にとっては信じられないだろうが、こういうことは簡単に起こる。電気のことを少しでも勉強したことがある人は、そういうことは「危ない」と知っているからやらない。

実は、USBの規格と、「パソコンのUSBポートで充電できます」と書いてある機器の電源の規格を調べると、この説明には大きな不備があることがわかる。

実はUSBポートで供給できる電源の電圧は5V(ボルト)。そして、電流は0.5A(アンペア)まで、ということが普通だ(USB2.0の場合)。実は、USB1.0が出始めの頃には、USBポートでつながれたPCの周辺機器に電源を供給することは考えておらず、その規格は決まっていなかった。

しかし、USB2.0ではその規格で「最大電流は0.5Aまで」と決められた。そして、USB3.0ではこの規格は1.0Aまでとなった。現在のUSBポートの主流は、ご存知の通りUSB2.0だ。つまり、USBポートで供給できる電流は基本的に0.5Aまでとするのが適当、ということになる。とは言うものの、最近のスマートフォンでは充電の最大電流が1.0Aやそれに近いものがあるし、iPadなどのタブレット端末では2.0Aも必要なものも普通にあるのが現状だ。

電気を供給する電源は、簡単に言えば(1)「交流か直流か?(交流であるとしたら波形や周波数はどうか)」、(2)「電圧は何Vか?」、(3)「電流の容量はいくらまで耐えられるか」という3つのことが決まれば、だいたい、「電源」と「電源を使う機器」をつなげることができる。あとはコネクタなどの形状が同じものである必要があるのは当然だ。(これは「定電圧電源」という電源の場合だが、私たちが普通充電などに使う電源は「定電圧電源」だから、ここではこれについてだけ話をする)

定電圧電源では、たとえば、100Vの電圧が供給されているところに、5Vで動く機器をつなげると、たいていの場合、機器が壊れる。逆に、100Vの電源が供給されているところに、200Vで動く機器が接続されると、機器が電圧不足で動かない。

だから、「電圧」は、電源と使う機器で「ぴったり」なものを選ぶ必要がある。(1)の「交流か、直流か」も、同じで、これも規格をぴったりとあわせないといけない。ただし、マージンがとってあるから、少々電圧が違ってもちゃんと動くが、大幅に違うと動かなかったり、壊れたりする。

(3)の電流は「容量」と表現されているように、1Aの電流容量のある電源には、機器が充電などに使用する電流は1Aより低ければよい。機器の容量が電源の電流容量より小さいぶんには問題ないが、反対に電源の電流容量よりも機器が必要とする電流が大きいと、電源が壊れたり、電源が壊れる前に「ヒューズ」などが飛んだりする。いずれにしても「力不足」で、動かなくなる。

今回の事故が起きた4つのポートがついている「USB電源」の電流容量は、USB2.0の規格にあわせ、1ポートあたり500mA(0.5A)となっていた。しかし、iPadは、1台で1.2Aの電流を充電に必要とする。これを4台つなげれば、1.2 x 4 = 4.8Aの電流が電源に必要とされるが、電源は2.0Aしか容量がない。だから電源は火を吹いて壊れたわけだ。また、iPhone はiOS5以上になってから、1Aの電流を必要とするという。であれば、iPhoneを4台つなげても、やはり電源は壊れる。

前に書いたように、USB3.0の規格でも、電流容量は1.0Aまでだから、USB3.0のポートを持つPCでiPadを充電するのも危険だ、ということになる。

「でもおれ、大丈夫だったよ?」という人もいるだろう。実は、充電し終わったiPadや、充電が終了寸前のiPadは、充電のときの最大電流と書いてある1.2Aも電流を必要としない。調べたことはないが、おそらく、0.1Aも電流を取らないだろう。考えてみればわかると思うが、一生懸命充電しているからこそ「電流(=エネルギー)」が必要なのであって、充電し終わったら、そんなに電流は流れないのだ。また、まったく空のバッテリーの充電には多くの電流を必要とするものの、充電するに従って、充電のための電流は必要なくなってくる、というわけだ。iPadなどのスペックに書いてある「電流」は「iPadの電池が空の状態で充電しながら使っている」というときの「最大電流」ということになる。また、USB充電器やパソコンのUSBポートの側も、規格の通りではなく、より多くの電流を供給できるようにしてあったり、あるいは、数10%までなら過剰に電流を流しても大丈夫、という「マージン」がとってあるものも多く、「運良く」トラブルが回避できている場合もある。

ということは、iPadやiPhoneを充電するときは、まず、付属の充電器(普通はこれは機器の最大電流を供給できるように作ってある=USBの規格以上の電流が流れてもOK)で充電し、満充電、あるいは満充電に近くなったら、PCにつなぐ、というのが正しいiPhoneやiPadの充電と、PCへの接続の方法、ということになる。

簡単に言えば、iPhoneやiPad、そしてAndroidなどのタブレット端末や携帯電話、スマートフォンのUSB充電器は、こういうことをわかっていて使わなければならない、ということだ。そうでないと充電器が火を吹いて家が火事になることさえ考えられる。

本当は、iPadなどの機器の側が、充電などのときに、USBの規格にあわせた0.5A以下の電流しか使わないようにすべきだ。しかし、「USBを電源として使う限りにおいて」、メーカーはこの規格を守っていないところがとても多い。ここで見たようにAppleでも守っていない。それはUSBのように見えて、USBの規格ではない、「まったく別のもの」ということになる。

本当は、iPadやiPhoneなど、0.5A以上の電流を必要とする機器の場合は、専用の充電器以外は使えないように、コネクタの形状をUSBではないものにすべきだ。そうでないと、また「事故」が世界中のどこかでどんどん起きることになる。

日本では消費者庁などがこういうことをちゃんと規定すべきだが、まだ行政指導などがあった、ということは聞いたことがない。このUSB充電器をめぐる混乱と事故はちゃんとして法整備がなされるまで、おそらく、まだまだ続くだろう。