元在韓日本大使の「韓国人に生まれなくて良かった」

「ダイヤモンド」に掲載された、元駐韓大使の「韓国人に生まれなくて良かった」という記事がここ数日、日本のネットなどで話題になっている。韓国側からは朝鮮日報日本語版でこの記事が話題になったことについて、韓国での反応などが記事となっている(日本語)。日本のテレビニュースで韓国の話題が出るときは「このところ悪化している日韓関係ですが」というマクラが必ず言われる。一方で日本政府の国土交通省・観光局(JINTO)の発表したレポートを読むと、韓国から日本への観光客は過去最高、500万人を超えているだけでなく、前年比でも20%以上の増加傾向であることがわかる。また、逆に、日本から韓国への観光客も増えている、という報道もあった(日本語)。これらのリンクは韓国のメディアのものでも、すべて日本語のものだが、要するに、テレビや新聞であれこれ言われているものはあまりあてにならない、ということなんではないだろうか?

最近、なんだか日本国内のメディアで言われていること、取り上げられているニュース、その取り上げられ方が今ひとつ偏っているように思うのは私だけだろうか?

私の周辺では「韓国については昔は印象が良かったが、最近は悪くなった」という日本人が増えている。実際に韓国に行ってみると、以前とはあまり変わらないし、景気は日本で言われているほど悪くなく、むしろ良い。私は3年前に韓国で大学教授をしていたとき、韓国の大都市でミュージカル「CATS」を見た。ブロードウェイの本場のCATSだ。韓国じゅうを公演している、とのことだったが、後ろから三番目くらいの席だったにも関わらず、チケットはかなり高額で、日本円にすると2万円近かった。ということは、前の席はおそらく5万円級のところもあったのではないか?と想像している。1200名が入る1階と2階の客席は満員だった。いや、まさか本場ブロードウェイのCATSを韓国で見ることになるとは思わなかった。客がお金を払うから、公演が成立するのだ。街を見渡すと、景気は日本よりも良いことに疑いはない。

いま、韓国では、週末ともなると、家族連れで都市部の巨大デパートや巨大ショッピングセンターにクルマで乗り付け、駐車場にクルマを入れると、家族分の服をユニクロで買う。そして、家族でデパートのレストランで食事。食事の後は、屋上のおしゃれなカフェ(スタバとか)でのみものを飲んで帰宅する。毎週末である。そういう生活をする人がかなり多いのだ。貧富の差はあるが、働き盛りの人はそういう家族生活をしている。なお、韓国のスタバは世界一高い、ということで一時有名になった。

冒頭の話に戻ると、日本人として私が過ごした韓国というところは、「そこまでひどく言うかなぁ」と思うことが多い。強いて言えば、日本の社会と窮屈さはそんなに変わらないようにも思う。しかし、人間関係は非常にきつい社会であって、現代の日本人の多くは耐えられなくなることがあるだろうと思うし、私もそういう感じは持った。しかし、それでも韓国の人は韓国で生きていることを考えれば、それはあくまで「日本で生きてきた人が韓国を見た場合」の話であって、それ以外ではないのではないか?

この記事は日本人の「元駐韓大使」が書いた記事とされているから、大きな問題として韓国のマスコミでも取り上げられた。しかし、そこにはそこで生きている人がいるのだ。それは地域が違う以上、国の政府が違い、社会生活が違う、という、そういうものなのではないか?であれば、今回問題となっている記事はあくまで「日本人から見た韓国」以外のものではなかろう。

日本人にも詐欺師もいれば悪党もいるし、高潔な人もいれば卑しい人もいる。韓国にだって「韓国人」という一枚岩の人たちがいるのではなく、様々な人がいるのだ。そういう想像力が、やはり国をまたいだ話題の場合は必要なのではないか。たとえば、ニューギニアの奥地の原住民に「コンビニなくて生活がたいへんでしょう」とは言えないし、ロンドンで「食事が不味くて住んでいていやになるでしょう」とは言えないし、砂漠地帯に住む人に「水を運ぶのが大変だから、日本人はそこで暮らせない」と言ったところで「では、自分の国で生きていればいいんじゃないですか?」と言われるだけだろう、と思うからだ。

私たち日本人も、米国人に「天皇制なんて古い世界のものがあるなんて大変でしょう。やめたら?」なんて言われたら、「あなたの国とは違うんです」と言いたくなる人も多くいる。地域の違いとは文化の違いであり、社会の違いであり、それ以上のものでも、以下のものでもない。

人間は生まれてくるところを選べない。そこに適応して生きて行くしかない。それぞれが、それぞれに。そして、「国際化」というのは、そういう他の地域や国で生活する人への想像力をしっかりと持てるようにすることなんじゃないだろうか?