「ヘイト寿司屋」の閉店(シャレてるわけじゃないよ)

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旧馬山憲兵隊跡の銘板

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旧馬山憲兵隊跡

日本のネットではどこでも話題になっているが、韓国ではもっと前から話題になっていたという、難波の「市場ずし」。しょせんはロボットが握っているのでない限り、それは人間の職人がにぎる。人間には感情があるから、それがどんなに曲がった気持ちであろうと、出るときは出てしまう。以前、アルバイト店員の非道(いわゆるバカッター)があちこちで問題になったことがあったが、ほぼそれと同じような感じだ。しかし、お客あっての「サービス業」である。サービスを仕事にしている人が、それがどんなに自分の嫌いな客であろうと、お客のほうを向けない、ということであれば、サービス業はやめたほうがいい。ましてや、大阪は東京とは違って、韓国からの観光客が非常に多い。東京に比べて飛行機代が安い。一番安いときで、往復で一万円もあれば釜山と大阪を行き来できる。韓国からのお客様はドル箱である。

ぼくはついこの前まで2年間、韓国の大学で教授をしていた。その街(馬山-現在は昌原市)は日本人はとても少ないところだった。釜山などの観光地・都会に出れば、地下鉄全部に日本語の案内版があって、ターミナル駅の前には日本語でのアナウンスもあるくらい、日本語にあふれているのだが、ちょっと都会から離れると、日本語は殆ど見ない。ぼくは韓国語は話せないから、とても苦労した。日本語と英語ならなんとかなるんだが。Google翻訳のお世話にも何度なったことか。

しかし、言葉は通じなくても、そういう韓国の街にいて、日本人の私は嫌な思いをしたことは一度もなかった。その街には、中心からちょっと離れたところに、戦前の日本の警察が使っていた憲兵隊の分隊の支部の、れんが作りの建物が残っていて、そこには、そこが日本の憲兵隊の建物であったことが日本語とハングル、英語で書いてある銘板があった。それ以外にも戦前の日本のものと言われている多くの建物が残っていた。その建物は街で未だに使われており、大事に使っている印象だった。

また、私の宿舎は大学のある地域の急な坂の途中にあったのだが、その宿舎のすぐ下には、そこがかつての日本領事館であったことが書かれている銘板もあった。もちろん、日本語も書かれている。その建物は現在、私がいた大学の施設の一部となっている。

私は毎日、宿舎の近くのコンビニに行って夕食を買うことが多かったのだが、そのコンビニの店主のおじさんは、私がなにか買うと、にこやかな顔で、いつもチョコレートをおまけにつけてくれた。毎回なので、恐縮して、あまり行ってはおじさんの負担になるからいけないんじゃないか?と思って、行かないときもあったくらい、丁寧に接してくれた。さらに別のコンビニでは店員さんが数ヶ月ごとに変わるのだが、いつか、「日本の方ですか?」と日本語で話しかけられた。聞けば日本に長い間行っていたという。コンビニを出るときに「いつもありがとうございますっ!またいらしてくださいっ!」と大声で日本のコンビニそのままの声で(もちろんきれいな日本語で)送り出してくれた。いや、チョーシ狂っちゃって、出口で転ぶところでした。

韓国での2年間、運が良かった、ということもあったのだとは思うが、嫌な思いをしたことは一度もない。そして、その街、馬山は戦後、李承晩政権が倒れるきっかけとなった事件である「馬山事件」というのがあったところで有名なところ。その後は現在の大統領・朴槿恵の父親である朴正熙大統領の時代、自由貿易港もできて、そこに日本企業を多く呼んで韓国経済成長の起爆剤となった、と言われた。私が行ったときもSONYなどの看板がちゃんと見えていたし、DENSOなども巨大な工場を数カ所作っていて、現地では就職先として非常に人気があっただけでなく、なんと支社長の日本人が市の繁栄に協力した、ということで、市から表彰されていた。もちろん、それ以外にも、日本の企業が多く進出していた。戦前は海軍の軍港も近く、対馬に近いので、対馬の人が週末に映画を船で見に来た、なんてこともあったという。そこはもともと、日本とは縁の深い地域だったのだ。しかし、韓国の友人は私につぶやいた。「三田さん、老人は日本の占領の時代をまだ覚えている人がいて、そういう人は日本人を悪く言うことがある」と。しかし、私は一度も嫌な思いをしたことはなかった。むしろ、暖かな気持ちの人たちに多く出会った、というのが偽らざる実感だ。

2年間、本当にありがとうございました。と、言うのが、正直な気持ちである。だから、こういう「ヘイト寿司屋」が日本にあった、などという話を聞くと、日本人として恥ずかしい思いがするのだ。むしろ、米国にいたときのほうが、多くの嫌な思いをしたことがあった。あるとき、米国の田舎を歩いていると、近くを通った白人の老婦人が私たちを見て「Jap!」などと言うのを聞いたことも何回かある。

しょせんは、韓国と日本は隣人であって、隣人である以上、仲良くすることもあれば、反目することもある。近ければ近いほど、良いこともあるけど、トラブルも増える。それくらい親しい。要するにそういうことか、と思う。

私のいた馬山は、現在は昌原(Changwon)市となっている。韓国では4番目の大都市だ。そのシティホールでミュージカルがあるから見に行きませんか?と誘われ、行ってみたら、なんとブロードウェイから来た「CATS」だった。日本だったら劇団四季が有名だが、まさか、韓国で米国の本場のCATSが見られるとは思わなかった。そのときは韓国はかなり景気がよく、いわゆる「外タレ」がいっぱい来ていたのだ。本場のCATSは時事のジョークなども言うのだが、周りの方々は英語がわからない人が多く、ここは笑うところ、なんてときに笑わないので、舞台の上の俳優も戸惑っていたのがおかしかった。


韓国に「嫌日」はないんだけど??

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まずは、黃文雄先生、ますますお元気で、なによりです。ぼくは日本の「台湾新聞」の記者をしていたことがあったので、その関係で黃先生にもなんどかお会いしていて、そのエネルギッシュな活動には敬意を抱いています。で、この前、ライブドアに掲載された先生の記事を読んだのです。でも、ちょっと韓国に対する見方が違うなぁ、と思ったので、ここに書きます。ぼくはつい最近、2年間、韓国の大学で大学教授をしていたから、そのときの体験があって、そう思ったのですね。

そのときは日本と韓国の行き来をしょっちゅうしていたんだけれども、韓国人で日本や日本人に悪感情を持っている人なんてあまりいない、と感じたんですよね。日本好きな人ってもともと多いですよ。ぼくが教授でいた2年間、日本人であることで、いやな思いをしたことはなかったのね。日本のマスコミの「嫌韓煽り」のほうがはるかに多かったね。

たとえば、「竹島の日」の島根県でのイベントは、韓国にいるときに2年連続で見ることになったんだけれども、韓国のメディアでは「XXというイベントがあって、XXとXXが出席してXXということがありました。終わり」みたいな、30秒くらいのニュースで、全然、エキセントリックな取り上げ方はしていなかった。日本人のぼくが見ても、公平な扱いのニュースでした。

韓国での宿舎に近いコンビニのアルバイトのおにいちゃんは、日本で仕事をしていたことがある、って言っていて、その日本での仕事って、要するに、コンビニでアルバイトしたことがあるんだろうと思うけど、コンビニを出る間際に、大きな声の日本語で「ありがとうございましたっ!またのご来店をお待ちしておりますっ!」ってぼくを送り出してくれて、思わず苦笑しちゃったよ。調子狂ったよー。

で、今年、日本への韓国人旅行者が減ったのは、ウォンに対する円高が主要な原因でね。日本が嫌い、ってわけじゃなかったんだよ。その円高でも、日本向けの飛行機の中は、韓国人の家族連れがとても多かったしね。韓国人の日本向けの旅行者が減ったときでさえ、韓国からの訪日客は5位以内。元が多かったから、ってのもあるんだろうね。

あと、韓流は何年か前に日本で流行ったけど、今は流行ってない、って言ってる人が少なからずいるんだが、実は今でも韓流はけっこう流行ってる。ただし、おばちゃんとかじゃなくて、日本の女子高校生なんかに流行ってるんですよ。だから、高校生はお金持ってないから、おばちゃんほどお金を韓流に落とさないし、日本も庶民がお金を持てない時代に変わったらから、ダブルパンチで韓流が流行らなくなったように見えるのね。

だから、黃先生の言っていることは、なんだかちょっと違うなぁ、って思うところがあります。先生、失礼になりましたら、ごめんなさい。


韓国のいま

南浦ロッテデパートエントランス

南浦ロッテデパートエントランス

韓国・釜山の南浦のロッテデパートのエントランスは広い。日本語のアナウンスもあって、日本人としてはとても買い物がし易い空間になっていると言える。エントランスの円形の噴水を囲んだ広い吹き抜けのスペースには周辺に椅子が並び、ときどき時間を決めて音楽が鳴り、噴水ショーをやる。その周辺で子どもたちが駆け回る。どこにでもある、休日の家族連れの風景だ。

今の韓国はバブル時代の日本に似ている。大資本の企業群が元気で、まるでこの先100年もその企業が元気であるかのように振る舞う。みな自国人であることに無意識にプライドをもっていて、遊びに行ける小金が苦労せずに手に入り、仕事もそこそこある。企業の営業成績は落ちてきているがみんなに危機感がなく、危機を感じているのは海外との接触の多い大企業のトップだけだ。みんな今日と言う日がそのまま明日に続くとなんとなく思っている。豊かであまり苦労がない。

人は親切だが自分のことが一番と考えている。テレビではくだらないバラエティ番組を毎日やっている。そこが楽園であるのに楽園であるという自覚はない。従ってこれから訪れる下り坂が想像できないひとがほとんどだ。企業も人も上り坂だけが自分の目の前に敷かれているものと思って疑わない。おそらく韓国の未来から来たであろう日本人のぼくがなにか言っても無視されるだけだろう。

あのとき日本でできなかったことを、今の韓国でやろうとしてもキチガイ扱いされるだけにちがいない。人はほとんど未来を予測し考えることはしない。未来に備えることを実行する人は迫害される。冬の備えは温かいうちにやれ、と昔から人はいう。暖かな日差しに囲まれたひとは冬への想像力を失う。その姿をいま、ぼくは目の前に見ている。つい最近、夏から冬へと変わった、未来の韓国から来た日本人の私は、この国では一人で踊るピエロだ。目の前に広がる青々とした韓国の水田が悲しい色に変わるのはもうすぐだろう。

人の世は結局このくりかえしなのかもしれない。人とは愚かなものだな、と、その愚かな人の一人である自分は、ため息を漏らす。周りの人たちにわからないように、小さく。小さく。

韓国の豊かさと日本の豊かさと「ソフトヤンキー」

韓国ではとにかく「アウトドア」が大流行で、韓国人は小金を持ち始めると、まずは手っ取り早い「アウトドア」に走る。そのため、テレビでもアウトドアウエアのCMが非常に多い。そして、繁華街にはアウトドアウエアのお店がたくさんできていて、繁華街のメインストリートなんか、10軒に1軒はそういうお店だったりする。

韓国人は豊かであることの証として、アウトドアをやるわけですね。韓国は国が狭いので、アウトドアといっても限りがあって、だから、日本、台湾、韓国にいっぱい行く。僕は日本人のどちらかといえばインテリだから、そういうものが豊かの証だとはまるで思わない。でも彼らはそれが「豊かさの証」であると、まず信じているんですね。で、いいクルマに乗ること、海外旅行をすること、というのがその後に続く。「豊かさの表現」が画一的で、実にわかりやすい。わかりやすい、ということはなにか単一の価値観を信じている、ということ。

本当の豊かさというのは、「画一的であること」じゃない、とぼくは思うのですね。地域の社会でも画一的な価値観を持たなくてもいい、それでも生きていけるよ、というのが、本当の豊かさじゃないかと思う。それは社会そのものに余裕があることの証でもあるから。そういう意味において、韓国の社会はまだまだ貧しい社会なんですね。

思えばかつての日本もそうだった。画一的な価値観の「豊かさ」が求められていたけど、今はそれは時代遅れだよね。若い人の価値観も多種多様になってきた、と思う。起業を目指して経済的な豊かさを求める人もいれば、全く違う視点で、今生きていることの豊かさを求める人もいる。日本の若者ってのは、そういう意味でとても多様な価値観を持って、賢くなったと思うよ。

日本が経済的に貧しくなっても、これなら大丈夫、とはまだ言えないところかもしれない。でも、韓国にな長くいて思うのは、日本の本当の豊かさてこういうものだったのだ、という「息苦しくない」社会への扉が開いている、ってことだ。それは、日本が高度経済成長を経ておそらく3代めくらいにやっとなしえた、本当の「文化の幕開き」のようにも思えるんですね。

だから、そういう意味でぼくは日本と日本人をあまり悲観していない。経済的には悲観すべき材料はないわけじゃないけど、おそらくそれを差し引いて余りあるものを、この70年で日本人は手に入れたのじゃないかと思う。

そして、その日本人が手に入れた「本当の豊かさ」から置いて行かれているのが「ソフト・ヤンキー」と言われている人達なんじゃないかと思う。

 

韓国の「劣等生」の話

韓国のITはMicrosoftのWindows/IE/Active-Xという世界から抜けない限り、世界水準には全くならない。ゲームではAndroidの市場をなんとかできるだろうが、世界的に使われるデータベース、ビッグデータなどの世界はまだほど遠いだろう。ITの人材も集中力はすごいと思うが「なにをするか」という「アイデア」「コンテンツ」は外国から持ってきたものばかりで、世界では全く用をなさない。人材の育成も、製造業から出ておらず「どうやって作るか」を知っている人材は優秀なのが多数いるのに「なにを作ったらいいか」という一番大事なところには全く人材がいない。結果として、みんな日本をはじめとした外国のまね事で終わってしまう。学生も学校も「就職」ばかりに目が行くから「新しい価値の創造」はできないし、韓国の社会では尖ったものがある学生は、「偏った劣等生」とみなされるから、韓国という閉じた社会の中で成長できない。

今年、そういった「尖った学生」が、日本の大学に行きたい、というので手伝った。彼は首尾よく日本の大学に入った。彼はやがて韓国ではほとんどの技術者も研究者も知らないものを身につけるだろう。しかし、彼は韓国に帰ってきたくない、と行っている。彼は韓国の社会では「劣等生」とみなされる。大学の教授も企業も、彼の世界に通じる価値に見向きもしない。韓国社会での優等生ばかりでは、韓国自身が沈没していくだろう。しかも、彼の周辺にいた人たちはその彼のことを一様に「悪く」言う。人間の評価の基準がまるで世界とは違う。答えのあるものばかりが技術ではない。しかし、韓国の社会は答えのあるものしか認めない。それは韓国の社会の貧しさが作ってきた結果、そのものだ。

米国のダイナミックなグローバリズムとか、日本の、それでも「起業」ということに対して少々緩くなった社会をこれまでぼくは現地でまざまざと見てきたが、韓国の社会とそれを比較すると、そういう意味で韓国には現状では全く先の光明が見いだせない。優等生は無駄な受験勉強をさせられ、外国に出てもほとんど役にも立たないTOEICの点数ばかりを競うのに必死だ。そういう優等生以外は結局「最初からあきらめる」しかなく、韓国の社会の底辺に沈んでいく。「尖った人材」など、この国ではこの社会の中で強くなりようもなく、結局、韓国という地域がまるごと世界から沈没していく可能性が高い。

結果として、NAVERもCaCaoTalkも、韓国社会だけで認知され、大きくなっているが、結局のところそれまでしか拡大の範囲は広がらない。世界のレベルには到底なれない。「考え方」「社会の常識」が世界とかけ離れているためだが、韓国の人たちはほとんどそのことに気がつかない。もちろん、政府も、だ。

誰かの真似をして、なんとかなった時代は世界的に終わった。この時代の変化を受け入れられないならば、また、自分たちの常識が世界に通用しない、ということがわかっていなければ、やがて韓国のITもこのまま没落していくだけだろう。韓国の軍が私がいまいる学校の学科と包括提携契約(MOU)を交わした。その記念講演を聞いたが、韓国の軍の電子防空網などを作った方はさすがに優秀だった。その方は「これからはTechnologyの時代ではなくImaginationの時代だ」と最後に言った。その通りである。大学でもTechnologyを教えてもしょうがない。このままでは韓国の大学は大学ではなく「職業訓練校」だろう。少なくとも、日本では韓国の大学をそう言ったほうが正しい。

これは、韓国の大学のコンピュータ学科に約1年とちょっと教授として在籍した、私の意見だ。そしてそれは、かつて日本が犯した教育の過ちの後をそのまま追っている、と、ぼくは思う。

 

韓国で行われている日本報道とは?

韓国・釜山/南浦洞

韓国・釜山/南浦洞

最近、仕事で韓国と日本のあいだを行き来しているが、どうしても違和感を感じることがある。

たとえば2月5日の北朝鮮のミサイル発射の報道は韓国ではほんのちょっとしか報道されない。「ああ、またか」てなもので、季節の風物詩に近い。北朝鮮の軍はふだんは農業をしているので、農閑期になると、ちょうどそのときが米韓軍事演習とも重なる時期でもあり、「発射」して、春に近い農閑期のお祭りをしている、という感じなのだ。

そして、ニュースでは「韓国での日本報道」「日本での韓国報道」がかなり温度差があるのだ。日本のネットやニュース、テレビのニュースで見ると「韓国人はみんな日本人に牙を剥いている」という感じの報道があまりに多い。多すぎる、というほうがあたっている。

しかし、韓国から見た日本の報道を見たり、韓国の人と接すると、全然印象が違う。まず韓国のテレビニュースでは韓国国内の話題のほうが非常に多い。日本の「竹島の日」の報道も、たいしたことはなく、昨年と今年、二回、韓国で見たが、日本を悪しざまに言うことはまず無い。韓国の政府の動きとして、韓国の政府はこういう抗議を日本政府に対して行った、終わり、である。非常に当たり前の報道といえよう。エキセントリックな報道はまず無い。

韓国では日曜日になるとニュース専門のチャンネルではニュースが少なくなる。そのため、報道解説番組があり、そこではいろいろな評論家が、日本と同じように出てくる。彼らの中には日本に対して非常に扇情的に語る人間もいるが、番組全体としては「それもひとつの意見」程度の扱いとなっている。それが番組全部の方向を決めるような感じでもない。

もちろん、韓国にも「過激派」がいる。それは日本に「レイシスト」などと言われる過激な言動をする人間がいるのと同じであって、彼らは少数派だ。実際、ソウルの日本大使館前の抗議行動なども、毎年参加者が減っているのだ。

韓国もこの10年くらいで経済的に大変に豊かになった。みんな自分のことが大切で、国はオマケ、と言う感じがする。つまり韓国の政府の言うことを国民がきかなくなっている、という現実がある。

今、私がいる韓国の南部、釜山の近くの韓国最大の工業団地のあるこの一帯には、ついこの前日本のDENSOが大工場を作って、市を上げての大歓迎だった。片側5車線というどでかいまっすぐなメインストリートの両方の街灯に「DENSO」と書いた旗がはためいていた。加えて、DENSOの当地の支社長は市の表彰を受けた。

また、コニカミノルタをはじめかなりの規模の日本企業が、この地域にできる新しい工業団地への誘致交渉を行っている、ということもニュースになり、これは日本語のニュースにもなったくらいだ。

朴大統領が何を言おうと、安倍政権がなにを言おうと、こういうことが進行している。民間だけではなく、行政も同じ、ということだ。

しかし、日本に帰って日本のネットニュースなどを見ると、「日韓関係は冷え込んでいてどうしょうもない」というニュースばかりだ。とは言うものの、数字をよく見て欲しい。日本政府観光局の発表している統計情報では、来日する外国人で最大なのは韓国。2013年までは韓国がトップだろう。月間で約20万人ほどだった。それが、2013年の9月あたりから減少しはじめ、現在は16万人ほど。安部首相の靖国神社参拝が12月だから、そのはるか前の話だ。これは中国なども韓国からの観光の選択肢になってきたことも大きいが、それ以上に「放射能汚染水の大量流出」のニュースが韓国でも大きく報道されたからだ。逆に日本からの観光客が減っているのは、円安が一番の原因と言われている。月間の来日外国人観光客で、それでも多いのが韓国。そして台湾。この2つがダントツなのには変わりはない。

また、つい最近発表された日本政府の観光局の2014年の統計(PDF)を見ると、月間の来日外国人でダントツに多いのが韓国。25万人以上いる。しかも昨年の同期に較べて9%の伸び。それに次ぐのが台湾で、19万人超。これは第二位だが、昨年からの伸びはなんと76%である。それでも、韓国から日本への旅客が一番であるのには変わりがない。これは、「安部首相の靖国参拝」の直後の数字だ。

別の言い方をすれば、こういう民間の話は企業にせよ、観光客にせよ、政治とは関係なく、あくまでお金と風評の話なのである。

日本と韓国を行ったり来たりしつつ、両国のニュースを比べると、韓国のニュースよりも、日本のニュースのほうが韓国と韓国人を悪く言いすぎている、という感じがどうしてもする。

 

「靖国」と「従軍慰安婦」と韓国と国境と

いま、韓国にいて韓国のテレビを見ているが、このBLOGを書いている時点で一番大きなニュースといえば、なんといっても「鳥インフルエンザ」の件だ。既に慶尚北道も慶尚南道もかなり敏感になっており、非常事態宣言もされいる、と報道は伝えている。

そして、その次に何度も流されるのが、日本の安倍晋三首相の靖国神社参拝問題。そして、新たな銅像が作られた、という従軍慰安婦の話だ。しかし、これを日本の報道やネットで見ると、「日本叩き」みたいな文脈で一緒くたに語られるが、それはこの2つの問題については当たっていることもあり、当たっていないこともある、と私は思っている。

実は、韓国でこのニュースを見ると、これらのニュースもエキセントリックに報道されることはまずない。大変に公平な報道であり、「韓国の政府はこう言っている」と「日本の政府はこう言っている」が並行して語られている。報道機関として当然の立場と言える。

加えて、ソウルでの反日デモでも、年々参加者が減少しており、人を集めるのが大変、という状況に変わりはない、とのことだ。そして、気を付けなければならないのは、従軍慰安婦の問題に関しては日本の過去の戦時の問題を当面の問題としながら、これは告発を行っている韓国や中国の政府だけではなく、多くの国で行われた行為の一部である、ということだ。つまり、日本の過去はサンプルの1つで、本当に問われているのは、戦争という状況の中で女性を蹂躙する、という行為のことであり、ひいては戦争そのものへの批判である、ということだ。だから、過去のサンプルを出して、将来はこういうことが無いようにしよう、ということが、日本の過去を糾弾する、その延長上になければならない。従軍慰安婦問題は女性の人権の問題であり、その先には、それがどこの政府であるにせよ、戦争を仕掛ける国の政府が批判されるべき、という問題につながっている、ということだ。

「日本だけが悪者になっている」のは、両国の政府の思惑もあるのだろう。しかし、韓国の庶民は非常に冷静だ。ニュースで煽るような報道はしていないし、今日も日本との間には多くの旅客機と船が行き来している。減ったとは言うものの、韓国から日本への訪問客は昨年の10、11月で毎月16万人もいる。在日の韓国人も多いが、在韓の日本人も非常に多く、しょっちゅう行き来している人も多い。

釜山の地下鉄には日本語表示もあり、ターミナル駅では日本語のアナウンスもあるので、日本人が釜山市内の移動に迷うこともほとんどない。地上に出てみれば、釜山市内の市バスでも、行先表示に日本語が出てくる。さらに、日本の大企業が韓国に巨大な工場を作った、という話は最近よく聞くようになってきた。DENSOなどが来たときは「大歓迎」で、町中に「DENSO歓迎」の旗が立っていたくらいだ。

また、靖国神社に関してはかつて日本国内からの批判も多かった。単なる国を守った英霊の眠る神社というところではなく、戦後、太平洋戦争での「A級戦犯」を「まとめて祀った」というところにポイントがある。日本軍の「蛮行」はそれ以前からされていた戦争の蛮行の一部だ。日本だけが、と言われるがベトナム戦争での韓国軍も多くの殺戮を行った、ということで韓国では批判されている。中国軍も太平洋戦争当時はその前後での「白色テロ」をはじめ、多くの殺戮をした。これもまた、日本だけの問題ではないが、日本の戦争行為だけが問題とされているわけでもない、ということは考える必要があるだろう。

いずれも「戦争」への批判である。「戦争」を庶民に強いる「為政者」への批判である。

これを単に「国どうしの対立」とすることは、おそらくできない。すべてが戦争そのものへの批判とならざるを得ないからだ。

加えて、昨今では核兵器あり、細菌兵器あり、テロあり、サイバー攻撃あり、グローバルマーケットへの経済的な攻撃あり、で、戦争や戦闘の定義そのものがはっきりしていない。しかし、はっきりしているのは、「戦争」は国の為政者どうしが始めるものであって、必ず「国」とか「地域」という単位どうしで行われる、ということだ。しかし、昨今はグローバル経済の進展で、こういう「地域どうしの戦闘・戦争」は、どの国や地域にも利を生まなくなっている、という現実がある。そのため「戦争」そのものが国どうしで、それが「戦争」であるがゆえに忌避されている、ということだ。

物流、情報流通、お金。そういう現実の前に「国」はどうしようもないだろう。だから、国境は溶けていく。国を頼りに生きることができなくなっている、というのが現実だ。やがて、「靖国」も「慰安婦」も、「戦争」も「国」も、しぶとく一部には残りつつ、世界という単位で見ればたいした影響もないものに成り果てていく未来が、すぐそこにある。世界は「カネ」という価値で統一される、と言ってもいいかもしれない。「カネ」の秩序を壊すものには、大きな制裁が加えられるだろう。

 


いま韓国は?

町並みも人も平穏

町並みも人も平穏

実際、韓国の現在の様子は、というと「北朝鮮に怯えている」という感じがいま一つない。テレビでもこの15日を過ぎたあたりから、北朝鮮の専門家を呼んでの討論会を長い時間かけてやる番組も出始め、15日以前とは少々違った雰囲気なのかな?と思わせるところもないではないが、テレビの放送全体からすると、たいした量ではない。

加えて、韓国は経済の先行き不安など、北朝鮮以上に大きな問題も多く抱えており、ニュースもむしろそういうところに重きが置かれている感じだ。

毎週末のスーパーマーケットの様子も、いつもと変わらない人々の表情と人出だし、その周辺の昔からある市場の景色も変わった感じがしない。表情には危機感というものは全くなく、こちらの友人に聞いてみたところでも「こちらの人はあまり北朝鮮のことは気にしていない。毎年やってくるもの、という感じで、ああ、またか」という程度の取り上げ方でしかない、とのこと。

加えて、韓国はこの10年ほどで大変に豊かになった、と感じる。

ソウルと釜山を結ぶ新幹線は、それまで以上に韓国の内部の距離を短縮したし、食べ物は安くて豊富だし、不動産価格も不況とは言うものの、結構高いままだ。それはそれで困った問題ではあるが。

人々の生活はといえば日本とそう変わらない。学生はみんなスマートフォンを見て下向きで歩いているし、女性の化粧もうまくなった、と感じるし、こちらでは規制の無い路上駐車のクルマはやたらと多いし、そのクルマが止まる駐車場には、かつては必ずあったミッションのオイル漏れの後なんてのは、もうほとんど見なくなった。地方都市でも、汚い自動車も見ることはほとんどない。だんだん、日本とその様相が似てきている。こちらの大学生と日本の大学生を比べて並べても、おそらくどちらがどちらだかわからないはずだ。かつてはあちこちにあったキムチのニンニク臭い匂いも、こちらの若い人間はあまり好きではなく、近くに寄ってもそういう匂いはしなくなった。昼ご飯を食べた後にトイレに行けばみな歯磨きをしっかりしている場面に会うし、清潔であることをとても気にしていることがわかる。また、若い人間の食べ物の好みも、フライドチキンだったりハンバーガーだったり、日本とあまり変わらない。コンビニに行けばツナマヨのおにぎりをはじめ、日本で買うものとほぼ同じものが手に入る。

北朝鮮の脅威はもちろんあるだろう。また北朝鮮も自分たちが戦力的に劣勢であることは、誰もが知っている。だから、彼らの「実戦」はゲリラに成らざるを得ず、また、正面切ったものではなく、テロにならざるを得ない。むしろ、テロだとしたら、それは事故のようなもの、ということにもなる。ある日突然「そうなる」のだから、対処のしょうもない。その予防のために、随所の警戒を厳重にする以外の方法は無いだろう。

ソウルやそこに近いところはもちろん危機感も大きいはずだ。昨日、在韓日本大使館のホームページに、いざというときの避難場所についての情報が加えられた。おそらく、問い合わせも多くなったからなのではないか。

たしかに、1か月前と比べれば多少の「危機」は感じられるかもしれない。でも、こちらの人は、それを本気にはしていない、というのが、本当のところだろう。