スマホの評価BLOGや記事などがアテにならない理由

最近は、スマホなどのハイテク商品のみならず、あらゆる商品をまずは検索で調べて、評価が良ければ買う、なんていう消費行動が当たり前になってきた。しかし、スマホのようなものを実際に買ってみたら、レビュー記事なんかと違う、ってことはけっこう起きる。これはレビューしている記者とかブロガーがいい加減なのではなく、メーカーがレビュー記事を見て、特に発表などもせずに、少々スペックを変更したり、改良したり、ということを後でする場合があるからなんだな。

こういうことはけっこうよくある話で、メーカーでも商品の評判には敏感だったりする。また、細部の部品なども、作っている最中に調達ができなかったりして、違うものを使う、ってこともある。結局、ブロガーなんかの記事でよくある「ファーストインプレション」なんて記事があまりあてにできない、なんてこともけっこうあるのだ。

しょせん、ブロガーなどの「使う人」は素人。対して、「作る人」はその筋のプロである。同じ製品でも、ロットや生産地が変わると、中身も変えていかざるを得ないのだ。

 


「悪法でも法は法」はいずれなくなる。キンコン西野のBLOGを読んでみると。

キンコン西野くんのBLOGで、彼の作品をJASRACに登録しなかったことが書かれていて、大変に面白い。私には、彼が飛ばしている、という感じはなくて、ただ時代がそちらの方に向かっていて、その最先端に彼はいる、という、そういう感じがする。今でもすでにJASRACに登録しない楽曲を持つ音楽アーティストは実はたくさん出てきているし、登録しているアーティストでも、JASRACには不満タラタラ、という例は非常に多い。

実はソフトウエアの世界では、無料で使える、ある種の権利を放棄したソフトウエアは世界で非常に多く出てきていて、今どきのソフトウエアは、そのオープンソースのソフトウエアを組み合わせて、新しいサービスを作る、というように変わってきていて、プログラムのコードを書く、という機会はかなり減ってきている。なにかのサービスを作るのに、1行1行プログラムを書いていく、というソフトウエアのビジネスモデルが変わってきているのだ。ただ、いくつかのライセンス条項がこれらのソフトウエアにはついていて、「無料で使っていいけど、このことは守ってね」という条文に、合意し、その通りの行動をする必要があるが、その条文は、作者が作ったものに、全く手を触れさせない、がちがちの権利主張をするものではない。

一方、世界的にソフトウエアそのものに、著作権はあるのか?という疑問も出されていて、その結果として、ニュージーランドの国会では「ソフトウエアの著作権は認めない」という決議がされ、著作権法が変えられた。

みんなが見ている液晶テレビも、今や中身はコンピュータだが、その上に載っているソフトウエアはほとんどがオープンソースのソフトウエアを使っている。そのため、日本の大メーカーが作るテレビの取扱説明書でも、その後半の半分は膨大なオープンソースソフトウエアの英文の許諾書だったりする。そのソフトウエアを使って製品を作って世に出すときには、そのライセンスの条文を全部添付して出すことが、無料でそのソフトウエアを使う必要条件の1つになっているからだ。

私も、NPO団体の「知財」を扱う業務をしているのだが、この時代の変わり目に、「単に権利を主張するだけ」ということはありえない、ということがわかってきた。

考えて見れば、著作権法も特許法もその第一条を読むと「作者の権利を守ることによって、学芸の振興を図る(特許の場合は産業の振興を図る)」のが目的である、と書いてある。つまり目的は「振興」であり、その手段が「作者の権利を守る」なのだ。であれば、学芸の振興が著作権法という法律によって、むしろ制限されている、という事態であれば、法律の存在意義そのものが問われるわけだ。つまり、著作権法自身が変化しないと、時代の流れに置いていかれてしまう、ということになる。所詮、これらの法律はその国の政府のちからの及ぶ範囲のものであるし、それは時代とともに、変化する必要もある。それは人が作ったものであるから、人が変えていかなければならないものでもある。

世界を見ると、著作権も劇的に変化している。インターネットが人間の世の中にどんな影響を与えたか。ぼくはいま、その変化を楽しんでいる。

 


著作権とBLOG

ぼくは弱小零細ながらも、新聞社で仕事をしたし、マスコミを持つ企業でも仕事をしたことがあるから、記事や映像、音楽などの著作権には、人一倍気をつけている。このBLOGの写真は全て自分が撮影したものだし、音楽は自分で作曲・演奏したものを使う。他人の音楽を使うときは著作権の切れた古いクラシック音楽を使う。幸いなことに、著作権が切れたクラシック音楽の音源を集めたサイトもあって、そこからダウンロードしてきて、自分が撮影した映像に使うこともある。YouTubeなどからのフィードは、もともと公開されているものだから、それをYouTubeからのもともとの著作権に関する裏書きなども一緒に「引用」する。もちろん、このBLOGに書かれている文章はどこからかもってきたものではなく、自分で書いたものばかりだ。

写真は、そういう環境で仕事で撮ってきたものが多くて、そういう意味では今はそうではないが、かつては「プロ」だった。報道写真だけれどね。だから、ネットでその当時の写真をパクられることもあって、それは私がかつて所属していた新聞社のBLOGから持ってきたものだったりして、その著作権はその新聞社にあるんですよね。撮影したのは当時のぼくだけれども、新聞社のものとして世間に発表された映像の権利は新聞社のものだからね。

いずれにしても、最近は「キュレーション」などと称して、他のサイトから無断で転載して「情報をまとめました」的な居直りサイトがたくさん出てきている。「キュレーション」という単語を日本に広めた佐々木俊尚氏も、情報の紹介はするが、パクることは絶対にしない。おそらく、このあたりの「パクリ」は、今後さらに大きな問題となっていくことだろうとは思うのだけれども。

著作権もさることながら、「肖像権」というのもあって、写真を撮る段階から、肖像権にもかなり気をつけている。

イベント会場などでのモブシーンでは、人の顔が映っても問題ないのだが、個々に撮影して発表するときは本人の許可が必要になるなど、人の顔がバッチリ識別可能なカタチで映るかどうか、そうして良い場面なのかどうか?発表する場はどうなのか?ということを常に頭に置いて写真を撮る。それは今でも同じだ。

自分が権利を持つ自分の著作物を使う、というのを原則としているけれども、他人の著作物を使うときは、特に気を使っている。