【再掲】天才の人生

 

深町純は2010年の11月22日に亡くなった。でも、深町さんが亡くなった直後、深町さんの奥様とお話をしたら、奥様も「なんだか、死んだっていう感じがいまひとつしない」と言っていた。

深町純さんは音楽が好きだったのではなく、音楽そのものだった。彼には音楽の道があり、音楽の神が宿っていた。彼がショパンを弾いたとき、ショパンが彼にピアノを弾かせたのだという。彼がショパンを弾いた鎌倉の教会で、彼はある曲を弾いたあとに、深々と頭を下げた。普段、彼はそんなことをしない。でも、そのときは珍しく頭を下げた。それは、観客に対してではなく、神として彼に宿り、彼に曲を弾かせたショパンその人に対して、だった。と、彼を知る誰もが思った。おそらく、それは間違いなかろう。

他のプロの演奏家がショパンを弾くと、「ひいひい言いながらショパンの後をよちよちとついていっている」という感じがどうしてもする。でも深町さんの場合は「ショパンと一体になって、ショパンが彼にピアノを弾かせている」と思う。

最初の話に戻る。ショパンが死んでもなお、今の私たち、あるいは演奏家たちの中に生きているのと同じように、深町純はその肉体が滅んでも、なぜかいま目の前にいて、音楽という大きな人間の文化の歴史の流れの一部として、彼がその真ん中を、この時代の文化のリレーの「選手」の一人として、大きな役目を背負って、生まれて、そして死んだのだ、と思える。だから、彼自身にとっても、自分の肉体はどうでもよかった。

深町純は、「音楽」が人間の姿をして、現代に現れた、という「現象」だったのかも知れない。だから、彼が死んでも、なぜかそこに生身の人間の匂いがしないし、それが彼の「生」であり「死」であったのだろうと思う。そしてそれはおそらく、人間としてこの世に生まれ、ごくごく限られた、連綿と続く人間と音楽の歴史に選ばれた人だけが辿ることができる人生だったのだろう。

彼が死んで、悲しい、と思う。大きななにかがなくなった、と思う。でも、それは悲しいことでは、なぜか無い、という面もどうしてもある。

「天才」とは、そういうものなのだろう。

天才を友人に持ち、天才とともに生きられた時間を持ったというだけで、ぼくもなぜか自分をちょっとだけ誇らしく思っている。

The man has a dream , that walking with the giant. — from the Movie : ‘Mary Poppins’ . by Walt Disney.

※お断り: ビデオでは深町さんの命日を彼の本当の命日の翌日23日としています。これは、深町さんの友人であった僕たちが訃報を受け取った日です。この日まで、僕達の中には彼は生きていたのです。明日、またどこかであって、深町純と音楽談義ができる、と思っていた気持ちが打ち砕かれた日です。そして、これをそのままにしているのは何故かというと、できるだけながいあいだ、彼にこの世にいて欲しかったから、という気持ちを込めたから、そのままにしています。そう、1日でも。

※ 来月は深町さんが亡くなって4年めになります。
おまけ: